らそのときの話をきくと、まあ何と憎らしいことでしょう! 駒込署の高等係は、余り二人の同志が私に会わせろとガン張るのに閉口して留置場まで降りて行ったふり[#「ふり」に傍点]をし、私が「こういう場所では会いたくないから」と云ったと見えすいた嘘をついて到頭追いかえしてしまったのだそうです。私が何とかして会いたいと留置場の中で日夜願っている同志たちとはこういう細工をしてまで会わせず、会わせる者はと云えば、帝国主義官憲とグルになって、もう「コップ」の仕事はしないと云えなどとよくも恥しらずにすすめる奴らです。私はプロレタリア婦人作家として、プロレタリア文化のために働くことこそ命だと思っている。どうして対手になれよう! それらと闘いぬいて出て来ると、敵は何とかケチをつけるため、父親が一札を入れたおかげで出されたのだとか、あやまったからだとか「今回の検挙によって思想上に一転機を来した」から釈放されたとか、ブル新聞に書き立てさせる。文化活動者として私をわれわれの同志から、大衆から切りはなそうとする悪辣きわまるデマです。敵は、私を二年も三年も監禁する理由を発見し得なかったので、今度は体は自由でも仕事のやってゆけぬようにしようとする。
検束されていた間、それから六月二十五日に出て来て今日になるまでに私の学んだことはただ一つです。それは文化活動をふくむプロレタリア解放運動の全線で、わたしらが一歩でも正しいわたし達の主張を守ろうと思うなら、そのためにすべきことは敵の暴圧に対する精力的で科学的な逆襲があるばかりであるということです。
私は宮本顕治と結婚して一ヵ月半ばかりで捕えられ、今宮本は敵の妨害によってどこにいるか私は知ることが出来ない。しかし、彼は彼の部署を守り立派に為すべきことをしていると信じています。私はプロレタリア婦人作家とし、彼の妻とし、革命的な働く婦人大衆の一人として進むべき道を益々みなさんとともに強固に進むだけです。[#地付き]〔一九三二年七月〕
底本:「宮本百合子全集 第十四巻」新日本出版社
1979(昭和54)年7月20日初版発行
1986(昭和61)年3月20日第5刷発行
底本の親本:「宮本百合子全集 第九巻」河出書房
1952(昭和27)年8月発行
初出:「文学新聞」
1932(昭和7)年7月15日号
入力:柴田卓治
校正:米田進
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