やげやが、団子坂上からやっちゃば[#「やっちゃば」に傍点]通りまでできた。
 菊人形が国技館で開かれるようになってからは、見にゆく人の層も変ったらしいけれども、団子坂の菊人形と云われたことは、上野へ文展を見にゆく種類の人にも、そう縁の遠くない秋の行事の一つだったのではなかろうか。千駄木町に住んでいた漱石の作品のどこかに菊見があったし、団子坂のすぐ上に住んでいた森鴎外の観潮楼へは、菊人形の楽隊の音が響いたにちがいない。
 幼いわたしにとって菊人形は面白さとうす気味わるさとのまじりあった見ものだった。場内にみなぎる菊の花のきつい匂いになじみにくく、活人形の顔や手足のかちかちした肌色と着せられている菊の花びらのやわらかく水っぽい感じの対照も妙だった。母方の祖母が浅草の花屋敷へつれて行ってみせてくれたあやつり人形の骨よせと似た気味わるさが菊人形のどこかにあるのだった。
 戦争ものでない菊人形と云えば、あのどっさりの菊人形の見世ものの中で何があったろう。常盤御前があった。小督《こごう》があった。袈裟御前もあった。一九〇五年に、団子坂の菊人形はそういうものばかりを見せていた。小さい女の子は気味わる
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