けば午後は小説をかくよりももっと熱中して南画をかき、空想の山河に休んだということは、何故漱石のリアリズムが彼を窒息させたかという文学上の問題をおいても、大正初期の日本文化の一つの特徴的な苦悩の姿であった。
 こういうヨーロッパ的なものと日本的なものとの間にひっぱられ、板ばさみに会う感情は、きょうでは決して鴎外や漱石だけの問題ではなくなって来ていると思う。レマルクの「凱旋門」は日本でもベスト・セラーズの一つであった。小説をよむほどの若い人々はみんなよんで、一九四七年度の感銘された作品の一つとした。「凱旋門」のどの点に、こんにちの若い日本の精神をとらえた魅力の核があったのだろう。あの小説よかったわ、というひとたちに向って、いちいちその読後感のよりどころをたしかめようとしたら、おそらく答えさせられるひとは迷惑しか感じないのではなかろうか。だって、よかったんですもの。――
「凱旋門」のなかには、その人たちの生活感情のうちにひそんでいて、しかも日ごろはそこに触れられることのない人間的な要素に、なにかの角度からおとずれてゆく情感があったからにちがいない。それはなんだったろう。医師ラヴィックの生活を
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