つかうことさえ不如意な雑居生活にたえている場合が多い。
その半面、このごろのわたしたちの生活は、決して戦争時分のように、どっちを向いても食べているのはおたがいに大豆ばかりという状態ではなくなっている。おいしそうに見事な果物や菓子が売り出されている。きれいな夏ものが飾られ、登山用具はデパートのスポーツ部にあふれている。軒をならべた露店に面して、よくみがかれた大きいショーウィンドをきらめかせているデパートはすべてが外国風な装飾で、外国人専用のデパートの入口には外国の若い兵士が番をしている。その入口を出て来る人の姿を見ていると、あながち外国人ばかりでもなくて、大きい紙包を腕にかかえた日本の女もまじっている。そういう日本の女のひとたちは、どうしてあんなに、わたしはみんなとちがいます、という風な愛嬌のない、きれいさのない顔つきをして通行人にたち向わなければならないのだろう。その表情を見るような見ないような視線のはじにうつしとって、瞬間の皮肉を感じながらゆきすぎる男女の生活は、日々の勤勉にかかわらず三千七百円ベースの底がひとたまりもなくわられつつある物価の高さによろめき、喘いでいるのだ。
こう
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