しい生活への進展ということが、私にとって冷々淡々としておられる「ひとごと」ではなくなって来ます。
 逝去の報知を手にした時、自分の心に衝上って来た、驚き竦え、考えに沈んだ心持は、恐らく、これ等の見えない原因を背後に持った私自身へのアラームであったのだと思われます。あれ程健康そうに見え、自分の良人に比して、大した年長でも在られない博士の死去という事実によって、「どうする?」という直覚的な反問が避け難い力を以て私自身に投げ付けられたのです。
 私が、こうやってこれを書いている心持は、近頃の、何でも婦人雑誌の「問題」にしたがる、いやな流行的亢奮からは非常に遠いものです。
 自分の良人を深く深く愛し、謙遜に、恭々しく、出来るだけの努力でその愛を価値高い、純粋なものに浄化させて行き度いと希《こいねが》う自分は、最も計り難い、最も絶対な一大事として、愛する良人との死別ということをも考えずにはいられなく成ったのです。
 今、自分の心に鎮まり、次第に深大なものになりつつある愛は、それによってどんな影響を受けるか。
 どんな径庭によって、どんな進展をするか? 勿論、考えようによっては、これ等のことは事実に面接しなければ話にも成らないことかも知れません。或る人は、不吉な空想を逞しゅうするという不快さえ感じるかもしれません。然し、今、静かに、厳しい内省を自分自身に加える時、私はこれ等のことごとを畏怖なしに考えることは出来ません。
 厳粛な一つのこととして、真剣に成って省察せずにはいられない程、一面からいえば、愛に対する自信が薄弱なのです。
 私の全心にとって、今、良人の死を予想することは、一つの恐ろしい空虚を想うことです。激しい困惑や擾乱を内的に予期せずにはいられません。
 私には、たとい良人の形体は地上から消滅しても、彼の全部は、皆、彼との結婚後更生した自己の裡に、確に、間違いなく生きているのだ、という全我的の信仰、安住も持ち得ないのです。
 現在、私の心を満し、霊魂を輝やかせ、生活意識をより強大にしている愛は、本質に於て不死と普遍とを直覚させています。
 けれども、若し、明日、彼を、冷たい、動かない死屍として見なければならなかったら、どうでしょう!
 心が息を窒《つ》めてしまいます。
 私がそれを信じ、それに遵おうと思わずにはいられない愛の理想的状態と、真実に反省して見出した愛の現状
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