天と地とがぽーっと胸を打ち開いて、高らかな天然の樹木、人間の耕作物をいだきのせている。自動車という文明の乗物できまった村街道を進むのではあるが、外の自然を見ていると、空気に、日光に、原始的な、神代めいた朗かさ、自由さ、豊富さが横溢して指の先へまで伝わって来るのだ。
青島も、確に珍しい見物の一つではあろう。太平洋に面した海岸の巖石が、地質の関係で、亀甲形や菊皿のような形に一面並んでいる、先に南洋の檳榔樹、蘭科植物などが繁茂した小島が在る。その巖の特殊な現象と、その小島に限って南洋植物が生育しているのとが、青島を著名にしているのだが、私共は大してびっくりしなかった。宮崎県では、大事な名所の一つとしているのだろうが、島中に青島神社を祭ったぎり、その特徴ある島の成因について、科学的な説明を与えた印刷物などはどこにも売っていない。潮流の工合で、南洋からそういう植物をのせたまま浮島が漂って来て、大仕掛の山葵卸のようなそれ等の巖のギザギザに引っかかったまま固着したのか、または海中噴火でもし、溶岩が太平洋の波に打たれ、叩かれ、化学的分解作用で変化して巖はそんな奇妙なものとなり、熱い地面に南洋の木の実が漂いついて根を卸したのか、わからない。それ故何だか物足りない。ただ、九州に来て、線の素直な、簡明な樹幹ばかり眺めていたところへ、いやに動物的にうねくって縺れ合った檳榔樹の体やばさばさふりかぶった葉を見、暗く怪奇な印象を与えられたのは面白い。なるほど、南洋土人が、この樹の下で踊るには、白く塗ったところへぞッとする模様を描いた巨大な仮面でもかぶらなければ追つくまいと思う。
また大淀まで、今度は軽便鉄道で戻るのだが、道々、私共は本当に見渡す限り快闊な日向の風好を愛した。高千穂峯で最初の火を燃したわれ等の祖先が、どんなに晴れやかさの好きな自然人であったか、またこの素朴な大海原と平野に臨んでどんなに男らしく亢奮したか。その感情が今日の我々にさえ或る同感を以て思いやれる程、日向の日光は明かで生活力がとけ込んでいる。
武者小路さんが新しき村を創るに日向を選んだ。これなど、あすこへ行って見て、ただ都会から遠いとか何とかいう原因でない、武者小路さんらしさをしみじみ感じた。(氏自身の理由とされるところは知らないけれども)武者小路さんと日向の天地と、本質がどこか相似ている。九州中を求めて歩いても、外
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