があった。文芸懇話会の本質的な弱点、矛盾錯誤は主としてそういうところに露出したのであった。
帝国芸術院に対する一般の気受けについては、現在各人の胸に活きているものであるから姑《しばら》くいわず、ただ、芸術院賞というようなものを制定したら、収拾し得ない紛糾をまき起す内部の事情であろうということは誰しも推察するにかたくないのである。
芸術院会員にはなれず、しかも事大的に鬱勃たる一団の壮年者によって「新日本文化の会」というのは結成されるのであろう。十七日に第一回会合を持たれる由であるから顔ぶれはまだ分らない。林房雄、中河与一氏などが音頭とりで、名称も懇話会よりは一層鮮明に、一傾向を宣言したものである。日に日に新たなる日本であるから、新日本主義も響きとして生新なようでもあるが、日本文学を新たな角度から把握しようとするその態度・方向においては、その非科学的・非歴史的ロマンチシズムに対して、すでに夥しい疑問が一般常識の裡から発せられているのである。
懇話会結成当時も、その資金の出所は誰にもはっきり分らなかった。「新日本文化の会」「文化中央連盟」いずれも、どこからどうして出る金でまかなってゆくのであろうか。そんなことは分ってる、と叱られるべき種類のことなのであろうか。躍進日本という愛唱される標語の実質は、極めて極めて現実的な道によって獲得されつつある一方、何ゆえ文化形態の外貌においては抽象的な、気分的なロマンチシズムが人為的に高揚されなければならないか。そこの矛盾の理由が知りたいのである。
「新日本文化の会」の複雑性
「新日本文化の会」の方針と顔ぶれとが、十八日の新聞で発表された。日本文化連盟会長松本学氏賛助、会員二十三名。行動をさける建前で、文壇のほか美術、楽壇からの参加も見る筈であり、綱領、会則等の規定なく、会員の加入脱会も自由という「フリーな立場で日本の神経を掘り下げる」組織としてあらわれた。会員の顔ぶれとして、林房雄、浅野晃、北原白秋、保田与重郎、中河与一、倉田百三等、この一、二年来の新日本主義的提唱とともに既に顕著な傾向性を示すと共に一般からおのずからなる定評を与えられている諸氏以外に国文学その他の分野では一応は誰しも社会的権威として認めている佐佐木信綱、小宮豊隆、柳田国男、岡崎義恵等の諸氏を加えたことは、なかなかに興味あるところである。
文化面における新日本主義は、或る種の政治的傾向が非科学性と結びつき従来極めて素朴な形であらわれていた。常識はそれに対して比較的容易に疑問を感じ且つそれを表白して来た。今回の顔ぶれはアカデミックな部分において、これまでの弱点が補強されている。しかも、長谷川如是閑氏が参加していることや、会則も綱領もないということなどは、何か質的に変化がもたらされたような誤解を一般に与え得、たしかに文芸懇話会よりは、時代的色調において一進しているのである。
日本がその現実の歴史に即して周密に探求されることを望むことでは、私も決して人後におちない誠意をもつものの一人である。林房雄氏は談として「会則も綱領もない」ことで会の本質の自由を強調し、文芸懇話会の延長と見られては困る、何物の援助も受けない独自的存在であり、自然にこの会の成立が各人に要求されて出来たものであると語っている。
が現在この会に会則、綱領のないことが、直ちに性質の自由を意味すると解釈しなければならないとしたら、誰しも当惑するのではないだろうか。何故ならこの度結成された「新日本文化の会」の構成要素は、アカデミックな面において強味を加えて来ていると共に、やはり一片ならぬ矛盾、自己撞着を包蔵していることが見える。例えば中河与一氏の万葉精神に対する主観的傾倒と佐佐木信綱氏が万葉学者として抱いていられる万葉精神に対する客観的見解とは必ずしも全部一致しがたいと見るのが当然であろう。また、保田与重郎君の幻想と小宮豊隆氏の高度な知的ディレッタンティズムが肩と肩とを抱き合わせ得ないことも自明である。さらに長谷川如是閑氏が、文化の発展との関係において民衆のもつ自由と統制をどう見ているかということと、林房雄氏の日本観との間に或る開きがあることは一目瞭然なのである。こう見て来ると、今のところこれらアカデミックな人々の体面感を傷つけずに参与を可能ならしめるような表現では、会則や綱領がきめられないというところが、実際の事情ではなかろうか。会則、綱領がないと公言されていることは、一人の男が、私に主義というものはありませんと告白したと同様本来この上なく危っかしいことなのである。別な言葉でいえば、その時々の風の吹きまわしに吹きまわされることをみずから語っているのである。アカデミックな要素が加わったことで、一部の人々の極端な事大的追従が些か制せられるとあれば無意味ではないようなものの、長谷川如是閑氏が『セルパン』八月号の小論でいっている「保護[#「保護」に傍点]」と「自由」との現代日本における現実的性格は、この団体に参加した如是閑氏自身にとって次第にどのように発見されてゆくか自他ともに見ものであると思う。[#地付き]〔一九三七年七月〕
底本:「宮本百合子全集 第十一巻」新日本出版社
1980(昭和55)年1月20日初版発行
1986(昭和61)年3月20日第5刷発行
親本:「宮本百合子全集 第七巻」河出書房
1951(昭和26)年7月発行
初出:「東京日日新聞」
1937(昭和12)年7月17〜21日号
入力:柴田卓治
校正:米田進
2003年2月17日作成
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