?」
たべずに行っても平気かという意味できいた。石段が多いことで私をおどかそうとした友人であってみれば、その若い眼のはしに、栗ぜんざいというはり紙のある店を見ないで通ったわけではないだろう。琴平も面白いと思っている私は、栗ぜんざいに、いくらか興じてもいるのであった。
「――さあ、平気じゃないですね」
「そうなわけよ」
どやどやと賑やかに、小さな店へ入った。小さい女の子もいそいそと一人前に椅子にかけて、さて、小さいお椀によそって出された、栗ぜんざいを一吸いして、私たちは、しんみりとおとなしくなってしまった。やがて、女の子が情けなさそうに、
「もういいの」
と母親にお箸をかえそうとした。私は、子供が甘いだろうと信じて、フーフーふきながら吸ったこころもちが可哀想で、
「じゃ、これはどう? きっと、これをたべながらのむと美味しいかもしれない」
と、お芋のおでんをとってやった。
おでんのお芋は、黒芋で、大半黒くなっていた。
「じゃかえりましょうか」
又提灯に灯を入れてその店から雨の往来に出た。商人は今日もやはりあくまで琴平流に徹底している。母と来たとき、食堂のようなところで親子丼をたべた。たべたというよりも食べずにいられなかったのであったが、そのときの不親切な味の水っぽさ、もののわるさは忘れがたい。それだのに、くりぜんざいにはつい釣られた。栗とぜんざいとが別々にかかれていたのなら、私たちも大丈夫だったのに、と歎いた。自由平等と重ねてかかれていると、ふとそのままで実質がどこかにあるような気になるように、栗ぜんざいと書かれると、私たちのお人よしが甘い内容づけをして、さか恨みをすることになった。元気に鬱憤をはらしながら、私たちは、旅館へむかう石段をのぼっていった。
底本:「宮本百合子全集 第十七巻」新日本出版社
1981(昭和56)年3月20日初版発行
1986(昭和61)年3月20日第4刷発行
底本の親本:「宮本百合子全集 第十五巻」河出書房
1953(昭和28)年1月発行
初出:不詳
入力:柴田卓治
校正:磐余彦
2003年9月15日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
前へ 終わり
全4ページ中4ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング