がら云って居る。紅は何となく眠気がさして来た。頭ばかり用《つか》って眠る時間の少いために、うつむいたまま形をくずさないでしずかに眠って居る。光君は人形を抱いたままだまって目をつぶって居る。乳母はだまって光君の様子を見つめて居る。
夜は段々更けて行く、いつまで立っても光君は動こうともしない。乳母もいつの間にか眠りたくなった、ついうとうととなってハッと気がついて又首をもたげる、又うとうととなる、又ハッときづく。……
夜明にメッキリ涼しくなった、一番さきに紅はおどろいて目をさました。紅におこされて乳母も、
「有難う、ねまいと思ってもついつかれて居るとほんとうに年甲斐もないことをしてしまって」
乳母は目をさましてから年若な紅におこされたことを大変恥かしいと思ってこんなことを云って髪をかきながら、
「オヤ、いらっしゃいませんよ、若様が。一寸、アラ、大変だ、どうなすったんでしょう」
「エ? 何ですって、若様が――いらっしゃらないんですって?」
「エエ」
「そんなことはないでしょう、だって宵の中にいらっしゃったんですもの」
「ほらごらんなさい、ネ、被衣がぬいであるでしょう。そらもうよっぽど前に御出になったと見えてもうひやっこくなってるんですもの」
「マア、どうしましょう、私が居ねむりをしたばっかりに、ほんとうに相すまないことになってしまって」
「ほんとにネー、どうしましょう。とにかくきいて見ましょう、御きのどくですけれ共ほかのかたの御部屋を、まさか家のそとにはいらっしゃらないでしょうからネー」
「ほんとにそうだといいんですけれ共ネー」
「貴方紫の君さまのところへ、私は大奥様と殿様のところへ行って来ますから、どうぞ」
二人の女は女特有の重い音を立てて右と左に分れて走って行った。
「一寸、どなたかお目ざめでございますか、光君のとこの紅でございます」
うわずった声で大きくよんだので年とった女が、
「オヤ、マアどうなすったんでございます、光君がどうか……?」
「あの若しやここに御邪魔致しては居りませんか、御見えにならないんでございますが――」
「アラ、一寸御待ち下さって――『一寸一寸さっきここの前で何だか悲しいうたをうたっていらっしゃったのは光君だったでしょう』やっぱり。もうずっと前三時ほど前にここの前で細い御声で何か歌を御うたいでございましたが、やがて高い御声で御笑いなさりながらどちらへか御いでになったのでございますよ、マア、それからどちらへ御こしになったかはわかりませんですが」
「そうでございましたか、オオ、どこへいらっしゃったのでございましょう。実はさきほどから一寸二人ともとろりといたしましたらもうどこへか御出になってしまったのでございますもの」
紅は礼を云うのも忘れて東の対にかけもどると、殿も母君も外の人達も御おきになってくらやみの中におどろきとかなしみとにとらわれて立って居る。
「わかりましてす」
紅はたったそれだけ云ったきりで座ってしまって何も云えない。
「どうなすったの、早くおっしゃいよ」
外の女達はすすめるけれ共息ははずむ、自分の罪はせめられる。
「只今紫の君様の御部屋にうかがいましたらもう三時も前にあの御部屋の前で悲しいうたを御うたいでしたが、高笑いを急にあそばしてどこへか行って御しまいあそばしたと云うことで……」
紅はうっつぷしたまんま斯う答えた。
「エ? 紫の君の部屋に行ったって? どうしたんだろう」
母君はふるえた、でもあきらめたような声で云う。人々の頭には雷のように、
「死んでしまった」
と云うことがひらめいた。けれ共各々はなるたけそうでないようにといのって居るけれ共どうしてもそれが思われてならなかった。
いきなり向うの細殿を小供の足音でかけて来るものが有る。うすい着物の上に片っ方だけ袿《うちぎ》をひきかけて走ってきた童は、人々のかおを見ると急にポロポロと涙をこぼして幼いもののだれでもがするようにしゃくり上げてどもってばっかり居る。
「どうおしだ、何があるの、云って御呉れ」
殿はやさしい声でその手を背におく。
「申し上げます、わ……わかさまが……彼の奥の池に紫の君様……の……御お、衣がう、ういて居りますと只今申して来たものがございます……」
「エー? 奥の池に――紫の君の衣が……」
殿のかお色はにわかに変って唇はワナワナとふるえて居る。女の人達はもうそのわけを察してもう声を立ててなきくずおれて居る。
「私達の心で思って居て口に出さないで居た結果がとうとう来た。彼の骨をけずるような悲しみはまだ年の若い情のかったあの人にはしのべなかった、だからまずもののわきまえのないように気が狂ったのだ、それでもまだ苦しいつらいことが有ったと見えて永久に苦しみのない静かな水の底に柔い藻に抱かれてしまったのだろう、秋の
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