エ、どうぞ私にかくしたことをそう沢山持たないようにしてこの老[#「老」に「(ママ)」の注記]とった私に心配させないで下さい」
と書いてあった。光君は、あんな枯木のようになった、血もなんにも流れていないような母君にどうして私の思って居る事を私の満足するようにすることが出来るはずがないと思いながらそのつやのない墨色を見て居ると、
「御返事をなさらないんでございますか、何とか申し上げましょうか」
ときいて居るのに、
「有難うってネ、云ってお上げ」
と云ったきりでまただまりかえって居たけれ共夜が更けると一緒に段々目がさえてこまったと云って当直の女をあつめていろいろな世間ばなしをさせたり物語りの本をよませてなど居たけれ共中々ねむられそうにもなかった。
いろいろのはなしの末に一番まだ年若なつみのない女が、
「この頃ネー、西の対の紫の君さまのところへ」
と云い出したのを一人の女がおさえつけて、
「ほんとうに紫の君は珍らしい御方でございますことネー」
と云い消そうとして云ったのを光君はすぐきいてしまったのでだまって衣のはじをひっぱって居た手をとめて、
「もう皆に知られてしまったからかくすのはやめにした、だけどいろいろな事を云ったり笑ったりしちゃ私が困ると思って居たんだから」
と云ってよこを向いてしまう。女達は皆目を見合って急に荷散るように笑い出したら光君までまっかなかおをして笑い出してしまった。
「若様、大丈夫でございますよ、そんなこと」
と云ってまだオッホホホホと笑って居る。彼の年まは一番笑いこけながら、
「ネーやっぱり私が目が有ったでございましょう、でもよく今までもちこたえて居らっしゃったこと」
なんかと云ってひやかして居た。光君は気が狂ったように笑ったりふさぎ込んだりして夜を明してしまった。
翌日はまた春に有りがちなしとしと雨が銀線を匂やかな黒土の上におちて居た。落ちた桜の花弁はその雨にポタポタとよごされて居る。
光君は椽に坐って肩まで髪をたれた童達が着物のよごれるのを忘れてこまかい雨の中を散った花びらをひろっては並べならべてはひろって細い絹の五色の糸でこれをつないで環をつくって首にかけたり、かざして見たりして居るのを何も彼も忘れたように見とれて居た。気のきいた子が一番念入りに作ってあげた環を光君は、はなされないように自分の前にならべて置いていろいろのことを書きつけてそ
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