主任が出て行った。あとの連中は盛に大掃除をはじめ、
「ヤ、御免」
とか、
「ごみがかかるよ」
とか、コートを着てそこに立っているサエのまわりをわざと邪魔そうにまわった。
 主任は間もなく帰って来て、
「どうして、なかなかそれどころじゃないということだから、私の方では何とも出来ない」
 目にこそ見えないが、両手で背中を押し出されるような風に、サエは特高室を出た。
 階段のおり口に窓があって、そこから警察の内庭と鉄格子のはまった留置場の三つの窓とが見下ろせた。包みを窓枠にのせ、それに胸をよせかけてサエは暫く下を眺めていた。内庭も大晦日気分であった。ハッピを着た職人が三四人で何かの空箱に腰かけ焚火をかこんで、昼休みをしている。上衣をぬいだ白シャツが一人その側に立って両手を焚火にかざしている。白エプロンをくるくるとまいて、下からメリンス友禅の派手な前垂を出した弁当屋の女中が、足は紫のコール天足袋だが、頭だけは艶々した島田で、留置場わきの小使室のところから出て来た。
 日光は暖く内庭に照って、焚火の焔をすき透らせている。しかし、留置場の鉄格子の前は、ちょうど斜《はす》かいに日かげで、窓の横に石炭置場と犬小屋がある。その辺の土は、朝の霜柱もとけきらずに凍っている。
 サエの目は、内庭の暖かそうな日向からいかにも寒げな日かげの方へと動き、そこで止って瞬きをするのも忘れたようになった。去年会社で争議が起ったとき、事務員であったサエは二ヵ月留置場へ入れられた。四月であったが寒さのためにリョーマチがついた。石の壁をとおし、床のうすべりをとおし、日光の射さない檻の中の寒さは専吉の膝の骨までしみとおっているであろう。その凍え工合がサエの肌身に感じられる。――
 サエが凝《じ》っと二階の窓から決して開くことのない留置場の窓に向って目を凝《こら》していると、下の内庭へピカピカ光った黒皮のゲートルを巻いた背の高い交通巡査が、裏の通用門の方から入って来た。
 股をひろげてこっちに顔を向け焚火に手をかざしていたが、やがて腰をかがめて何か二語三語《ふたことみこと》云った。すると、すぐ隣のハッピの職人が首をあげてサエの立っている窓の方を見上げた。次の一人、またその次、皆順々に顔を動かしてサエの方を見た。真後を向いていた男はわざわざ空箱の上で上体をひねって、見た。サエは、そうやって一人一人に仰向いて見ら
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