し女として社会的な進取の態度が失われて今日まで来ていると思う。
「隣組」の実際的なねうちは、漁家のそれら様々の問題にふれてそこに何か光明をつくり出してゆくところに期待されていいのだと思う。
大きい自然の力を対手にして人間が原始的な方法で戦わなければならないとき、そこにはいろいろの迷信や伝統が生れて来る。女子漁民道場というようなところがつくられれば、そこでは漁村の間につたえられている迷信的なものと、どのようにたたかって女の海での活動の領分が開拓されてゆくだろうかと、期待がもたれる。海女として少女から相当の年までの女が働いているところでそういう施設をつくることは、形の上では比較的たやすいだろう。しかし、そういう地方の婦人は、働きの中心に自分たちがいて来ているのだから、ただ漁夫の娘とし、妻とし、母として、朝と夕べに舟を送り出し迎えて暮しているひとたちとは気分がすっかりちがっている。千葉のように半農半漁の土地柄でも、女の稼ぎに対する敏感さは、東京に何千と隊をなして来る「千葉のおばさん」行商隊の活動にもあらわれている。そういう場合も、女の立場は或る経済上のよりどころをもっているのである。
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