もって跡づけている。
この初期の二つの評論にはっきりあらわれているように階級の歴史的経験を、自身の実感としないではいられなかった著者が「評価の科学性」(一九三一年)からのち、益々解放運動とその文学運動の中心課題にてい身してゆくにつれ、論策も主としてプロレタリア文化・文学運動の基本的方向の提示とその科学的な方法論にうつって行ったことは現実と実感の必然であった。
短い月日の間に、はげしく推移する情勢に応じて書かれた一九三三年ごろの諸評論には、いそいで刻下に必要な階級文化のための土台ごしらえを堅めようとする著者のたたかいの気迫がみなぎっている。そのたたかいの気迫、抵抗の猛勇な精神は、その情勢の中では「過渡期の道標」のようなタッチでは表現されなかった。著者は階級的な社会発展とその文学理論の要石《かなめいし》をつよくしっかり据えようと奮闘している。
新鮮な階級的な知性と実践的な生の脈うちとで鳴っていた「敗北の文学」「過渡期の道標」の調子は、そのメロディーを失って熱いテムポにかわった。情感へのアッピールの調子から理性への説得にうつった。
この時期の評論が、どのように当時の世界革命文学の理論の段階を反映し、日本の独自な潰走の情熱とたたかっているかということについての研究は、極めて精密にされる必要がある。そして、当時のプロレタリヤ文学運動の解釈に加えられた歪曲が正される必要がある。
十二年をへだて、今日著者がたまに書く文学評論は、主題と表現の問題にしろよりリアルにとらえられていて、人民的な民主主義社会とその文学の達成のために、堅ろうな階級的骨組みとくさび[#「くさび」に傍点]とを与えている。
著者自身が一九二九年に「過渡期」として通過した日本のインテリゲンツィアの諸問題は、今日一般において決して著者が通過したようにはとおりすぎられていない。日本の文学感覚はまだもろく弱くて、文学といえば、人は理性の視点と水平なものとしてそれを感じないくせがある。戦争は、客観的な真実に対して素直である人間の理性をうちこわした。そしてわたしたちは長い間、客観的な文芸評論というものを持たされなかった。きょう、またおどろくような迅さで、日本の人民生活と文化とが高波にさらされようとしているとき、文学を文学として守るためにも、この著者の諸評論は丈夫な足がかりを与えるものである。[#地付き]〔一九四八
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