いうものがわかるからこそ、キュリー夫人伝が、人々の心に尊敬すべき生活の像として訴えて来るのだと思う。キュリー夫人が科学の客観的な真理との関係で、自分の箇人的な勉強などを伝説化すまいとした潔癖は気品ある態度であり、科学に献身した者らしい無私を語っている。けれども、人間の歴史の嶮しい波の中での女の生きる姿という広さにおいてみれば、彼女が少女時代から歩んだ道は、彼女自身によっても個人的閲歴の域を溢れた意義をもって見られても、本来の謙虚を傷つけることではなかったろう。キュリー夫人が独特の性格で、始終自身の生活をそういう自覚で見なかったのも、或る趣である。エーヴがあれだけリアルに描きつつ、そういうような点で母夫人の情熱の内奥に肉迫せず、あすこをどこやらシャ※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]ンヌの絵を思いおこさせるような色調の箴言的一情景として描くにとどまっているところ、様々の感想を誘われる。作家としてのエーヴが持っている微妙きわまる正負について。
○ 寿江子をおがみたおして、ハガキへ一枚門のところのスケッチをして貰う。風がひどくて寒いと中止。自分内心大悄気だが、おとなしく黙っていた。
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