格の上に投げかけている程度に止っており、しかも、女優自身がいわば最も自然発生的なものの上に立って演じていることについて、自覚も煩悩も持っていないように見える。最近上演された「四つの恋愛」を観たときも私はそのことを強く感じた。「四つの恋愛」はコンスタン・ベネット、シモーヌ・シモン、ロレッタ・ヤング、ジャネット・ゲイナーという四女優を集めてこれらの女優の特色で興味をひこうとしたものであったろうが、案外に深みも味も、特長さえ大して活かされていなかった。
日本の映画では、以上のような点が一そうきわ立って現われていると思う。日本の映画俳優は、感情表現を独特な立場から研究しなければなるまいと思う。単純な西洋風[#「西洋風」に傍点]をまねたばかりでは活動写真[#「活動写真」に傍点]の範囲を出ないし、われわれの日常生活の習慣が感情表現に加えている長年の制約を、演技的に止揚することは大切な努力の一つとして将来に期待されることである。
「裸の町」を観ても感じたことであったが、日本の女優の力演の顔には共通な一つのものがある。妻として苦境に堪えて行く顔は充実して表現されるが、もっと内部的に複雑な葛藤を物語る
前へ
次へ
全7ページ中4ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング