う題によって書かれた留置場生活の記録など。――それにもかかわらず小説はかかれなければならなかった。プロレタリア文学の方針が政治偏向で、小林多喜二のように作家を政治的な場面においこんで、才能を濫費させたという、本質的にはデマゴギッシュな団体内外の批判に対して事実で答える責任のある作家は一つでもいい作品を発表する必要があった。
「乳房」の第一の原稿はこの時期に準備された。一九三三年の夏、わたしは、幾度か荏原の労働者地区にあった無産者托児所へゆきそのぐるりのお母さんたちの生活にふれた。職場の人々との会合の、字では書いておくことのできなかった記録を整理した。そして八九十枚まで、小説としてかきはじめた。
 ところが、それは小説にならなかった。当時の生活は、時間的に寸断されていた上に、一つの作品を完成させるに必要な作者の一貫した生活気分が合法生活と非合法生活との間にわけられていて、それ自身一つの客観な一つの世界としてかたちづくられなければならない作品はまとまらなかった。
 この小説の試みは中絶された。そして一九三三年の秋もおそくなってから「小祝の一家」という短篇小説がかかれた。夏の間にこころみられ
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