んで居た。男はそのわきに少し目の落ちた彼の女の青白い横がおを見つめて立って居た。男はどもる様にこんな事を云った。
「どうしてそんなひやっこい様子をして居るの、何か腹の立つ事があるの」
「腹の立つ事なんか一つもありゃしない、うれしくってうれしくってしようがないんだから……」
 彼の女は斯う云って又歌のつづきを云って居た。
「何がそんなにうれしいんだか話して御らんなさい」
「聞いてどうするの?……私には、貴方よりももっとすきな、そしてもっと好い恋人があるから……」
 彼の女は平気で髪一本ゆるがせないで云った。目は小石を見て居た。それでも男の顔の色が一寸変ったのを彼の女は知って居た。化石した様にだまって突立って居た男は、押し出される様に「じょうだんは云いっこなし……」男はどうぞこれより私を驚かせる事は云わないでネと云う様な目をして彼の女を見つめながら云った。
「ほんと、……何故そんなにびっくりするの?」
「ほんと? ほんと? 一体……どんな人なんだろう」
「どんな人でもない……自然……エエ、自然、マア、どんなに私を可愛がって呉れるんだか……」
 彼の女はかるくほほ笑んだまんま云った。男のかお
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