のたつほどいやなみっともないものにして見せた。笑いながら軽い口調でじょうだんを云いながら、女は男の心を目の前に並べて見て居ると云う事は、男がどんなにしても知る事の出来ない事だった。女の心はよく男の心とまるであべこべの方に走って行く事があった。それでも二人はにらみ合いもしないで会えばじょうだんも云い、下らない事で笑ったりして居た。女は自分の心の底の底までさらけ出して男に見せたくなかった。自分の思って居る事、考えて居る事を、男が味のない話でうちこわしにかかると女はいつでもフッと口をつぐんで、すき通る結晶体の様な様子をしてたかぶった目色をして男を見て居た。時には自分の予期して居る返事とまるであべこべの事を云われた時の辛い心を味いたくなさに「何々と云ってちょうだい」と口まねをしてもらう事さえあった。男は彼の女をよく我ままな人だと云って白い眼をする事もあった。けれ共どうした訳か二人は仲が悪くならなかった。女の一寸したそぶりが男の気にかかって、一晩中ねもしないで翌朝青いかおをして男が来た時も、女はすき通る様なうすいまぶたを合わせてね入って居たり、男が女の気むずかしいかおを気にするのを見向きもしないで、柱に体をぶっつけてふてる様な様子をしたり――はたの人から見ればきっとこの次会った時には、お互に知らんかおをして居るに違いないと思うだろうと思われる事をしながら二人の間に日が立ち月が流れて行った。女は心中しかねないほど自然を愛して居る。美しい葉の輝き、草の香り――そうしたものを見るとたましいのぬけた様にボーッとして居る事が多かった。限りない嬉しさに思わず土にひざまずいた時等にうっかり居合わせる男は気が気でないと云う様に女の様子を見つめてだまってその耳たぼのうす赤くすき通るのを見て居るのがあげくのはてには女の心をかたまらさせてしまって居た。美くしさ、快さの中に吸いこまれて居ると「何をぼんやりしてる?」なんかって声を男がかけた時女は「いやな人ったらありゃあしない、もう絶交さ……」こんな事を小声で云って男を息づまらせたりして居た。
彼の女は恋をするなら人間ばなれのした、命がけの燃えさかって居るほのおの様な、お互に相手の名と姿と声と心と――そうしたものほか心の中にかつて居ないほどの恋がして見たかった。けれども女はいろいろに出る心をもって居た。片っ方のまっかな光が恋をしようとすれば、すぐその裏に光って居るまっさおな光がせせら笑いをしてちゃかしてしまうのが常だった。心の光が全体同じ色に光って呉れる時は、どこに行っても手を開いて抱き込んで呉れる自然に対した時ばっかりであった。
赤い光が「彼の人を恋人にしてやろうか」とつぶやくと青い光は「フフフフフ」と笑って笑いも消える時には「恋人にしてやろうか」と云う光は消えてしまって居た。
「恋をするんならお七の様な恋をする。それでなけりゃあ歯ぬかりのする御□[#「□」に「(一字不明)」の注記]みたいな恋はしたくない……」彼の女はよくこんな事をその男に云う事があった。
春がすぎて夏になった。囲りにはまるで若武者の様な力づよさとなつかしさがみなぎり始めた。彼の女はもう男の事なんかすっかり忘れぬいた様になって、このまんま死んで行きゃしまいかと思われる様な草の香りや、自分の姿を消してしまいやしまいかと思われる青空の色やに気をうばわれて居た。其の男はぬけ出した彼の女の魂の又もどって来て自分を思い出して呉れるまではどうしてもしかたがない――とあきらめた様に女の様子を上目で見守って居た。男は彼の女があんまり思い切った様子をするのが見て居られなくって旅に出かけた。その時も女は一寸ふり返ったっきり又ふり返って「行ってらっしゃい」とも云わなかった。それでも男は旅に出た。彼の女は「恋人にすてられた人が苦しさを忘れ様と旅に出る様な様子をして居た事」と思ったっきりであった。夏の末、秋の初め――いろいろに美しくなる自然は段々彼の女に早足にせまって来た。女の目はキラキラとかがやいて唇の色はいつでももえる様にまっかになって居た。何でも自然の作ったものを見る彼の女の様子は初恋の女がその恋人を見る様に水々しくうれしそうでさわる時には、苦しいほどのよろこびとに体をふるわせて居た。彼の女はあけても暮れても自然の美くしさに笑い歌い又泣きもして居た。男の事は頭の中になかった。女は沢山歌を書き文を書き只自分が自然と云うものの中に自然に一番したしい芸術と云うものの中に生きて居るのを感じて居るばかりだった。
秋の中頃旅を終えて男が帰って来た。その日も彼の女は青白く光る小石に優しいつぶやきをなげながら男には只「お帰んなさい、面白かったでしょう」と云ったばかりであった。そして原稿紙の一っぱいちらばって居る卓子に頬杖をつきながら小声にふとからからと湧いて来る歌を口ずさ
前へ
次へ
全22ページ中14ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング