い。その夫婦の間に、見えず、聞えず保たれている精神的な諧調、一つが何かを感じれば、また他の一つも、同じ興味、一つになった自然さでそれに相呼応して行く自由な朗らかさを、ゆき子はさながら餓えた犬のように羨しく眺めたのである。
「勿論、御飯を今にする、否、後にするという位のことなら云うことはない。また、理論的に、あれはこうあるべき[#「あるべき」に傍点]ことだ。あり得べからざる[#「得べからざる」に傍点]ことだ。という風に押しつめて行っても一致はするだろう。けれどもこのように、気持そのもので楽に何処までも交響して行くようなことが、果して我々にあるだろうか?」現在、自分はその点でつきない不満を感じているのではないだろうか。――
 やや暫の沈黙の後、ゆき子は、はっきりとした声で、
「貴方」
と真木を喚《よ》びかけた。彼女の調子のうちには、どうでもよい場合の、当然な暢やかさがなかった。真木は振返った。
「何?……」
「話しましょうよ」
 真直に彼を見ている彼女の眼を眺め、真木は、「何だ」と云うように、また紙に向った。
「話したらいいだろう。いくらでも、こうやっていて聞えるから」
「それじゃあ話した気なんかしないじゃあありませんの」
 ゆき子は、始めはとろとろと堤に滲み出した河水が、だんだんと不可抗の力で量と速力を増して来るような気持になった。
「――何の用なの?」
「用じゃあないけど……昨日から私達は碌にほんとの話をしないじゃあないの?」
「そう改ってしようたって出来るもんじゃあない。機勢《はずみ》が来なければ――。併し」
 真木は、真正面にゆき子を見、戯談でない声で云った。
「用がないなら静にしていてくれない? 僕は、休中に遣ってしまいたいものが沢山あるんだから、ね。平常は、忙しくて暇のないのは、貴女も知っているだろう……」
 全く、真木が、専門に関して書類を纏めているのは事実であった。勿論ゆき子は、それを知っていた。けれども、今の場合、彼女には、その「専門」の権威で圧せられるのは辛棒が出来なかった。彼女の衷心には、殆ど意識の陰で、自分の仕事を顧みさせられる不快がある。ゆき子は、ぐっと心が意地悪くなるのを感じた。
「用がなけりゃあ話もされなくてはおしまいね!」
 彼女は、毒針と知りつつそれを虫に刺し込むような残酷さでちらりと良人の方を見た。
「……どうしたのだ。そんな調子でも
前へ 次へ
全31ページ中25ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング