何か犯罪をやって現に拘禁されている者の両親は、大抵揃っていず女親だけで、その女親も売笑婦が高率を占め、又その女たちはアルコール中毒にかかっているか、さもなければひどい酒呑みが多いと結論している。ロンブロゾーは、そこまで社会の現象を探求したのであったがそこからは元へ戻って、だから犯罪型の人間は目下地道に暮していようと先天的な犯罪可能者であるという宿命論めいた断言を強めているのである。
 ロンブロゾーの現実の掴みかたは、現象主義で、目前にあらわれていることだけの統計によって自説をかためた。彼は、一歩進んで、それならば、犯罪型の頭蓋骨をもち、脳の発育の型をもった者の両親は、何故に片親となったか、何故女親は多く売笑婦になっているか、のんだくれであるかという、社会関係に迄つき入って、人間の生理を研究する力をもち合していなかったのである。
 ロンブロゾーは、警察官の先入観念に一つの犯罪型という骨相上の分類を加えてやったが、失業と夫婦生活の破壊との生々しい関係、失業と売笑との直接な関係、大多数者の慰安ない生活と低劣なままに繋ぎとめられている文化水準とアルコール中毒との具体的関係、ましてや戦争の後帰還兵によって伝播される花柳病の恐るべき問題などについては、科学者として一刀をも切りこんでいないのである。
 断種の科学性と人類を幸福にする効果とをひろく理解させようとする夫人達は、果してどの位深刻に、真に断種すべきものは男性の或る分泌腺ではなくて、一切の社会悪と疾病との根源である社会そのものの歪んだ非人間的構成であることを観察していられるであろうか。私が、心を捕えられた一点はそこにあるのであった。
 ソヴェト同盟を旅行していた間に、私はいろいろのことから意味ふかい印象を与えられたのであるが、肺病、梅毒、アルコール中毒等が、旧社会から民衆の上へ重荷としてのこされた社会病として、驚くべき大規模で掃蕩に着手されていたには目を瞠った。労働者のクラブには衛生陳列室があって、性病とその遺伝の害悪を模型や図解で示し、肺病、癲癇《てんかん》、アルコール中毒等についても若者たちの具体的、日常的要心を喚起している。
 竹内茂代女史は、日本女子の体格分類統計をもって医学博士になられた。彼女の博士論文から引出された論によると、女学生の体格は統計上背が高くすらりとしたタイプであり、女工たちの体はずんぐりで低く、四肢が短い。この統計によって見ても明かなように高級な智脳活動にはすらりとした背も高いタイプが適し、工場の労働、農業などにはずんぐりで手脚も太短い娘が適しているのである。云いかえれば、今の世の中で下積みの女は、下積みで生涯を過していいように生れているとそういう論である。
 私は、入沢達吉博士の随筆をまたないでも医学博士というものの実質に多大の疑問をもち、又愚劣さを感じた。
 現在のような社会で、女が弁護士となり、又医師になるのはその専門技術をとおして婦人大衆の大小様々の荷に喘いでいる肉体と精神とを少しでも幸福の方向に助け導くことにだけ社会的意義がある。更に鋭い科学者の観察で現実を見きわめる卓抜者は、やがて、婦人大衆の生存の苦楽は、男との相対関係にだけ規定されるものでなく、両性の関係をも支配するところの社会機構の本質の問題にかかっていることを観破せざるを得ないであろうと思う。
 私は、良人の学業を信頼し、科学性の常識化を翹望するよき数人の夫人達が、科学の科学性を十分発揮し得る社会とは、どのような社会であるかということについて、優しい心で真面目に一考されることを切望するのである。[#地付き]〔一九三五年五月〕



底本:「宮本百合子全集 第十四巻」新日本出版社
   1979(昭和54)年7月20日初版発行
   1986(昭和61)年3月20日第5刷発行
初出:「社会評論」
   1935(昭和10)年5月号
入力:柴田卓治
校正:米田進
2003年5月26日作成
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