ら警察を通じて、良子嬢をとりまいた五人の平民の若者にお礼として五十円ずつよこされ、狐につままれたような気持で固辞するのを強いても握らされて帰宅したという記事や又、当時そうとは知らずに勿体ないことをした、と洩した客の言葉などは、第三者の立場にあるものの目には、なかなか興味ある社会的な内容を含んで映るのである。何かのはずみに間違えて平民の社会に天降った侯爵令嬢良子が、つつがなく再び天上したからには、総てはあの時ぎりの白日夢とし、東郷侯爵家というもののまわりは又〔七字伏字〕閉ざされたかの如き感じを世間が持つよう、細心な努力が払われている。
 湯浅宮相が女子学習院の卒業式に出席して前例ない峻厳な華族の女の子たちの行紀粛正論をやったということが目立ったぐらいで、敢て道徳問題や親の不取締りとかいう点につき、問題化すものは少く日頃は根掘葉掘りの好きな新聞記者さえ、触れ得ぬ点のあることを言外に仄めかす程度に止っている。
 私は、先日計らずも或る写真屋で東郷侯一家の家族で撮った一枚の写真を見た。良子嬢の父というひと、母という夫人、弟妹たちをも眺めた。かっちゃんこと良子嬢のお守代として五十円ずつ出したということの内にあらわれている下様の者とは違ったものの考えかたが、自らその家族写真を見た時も心に甦り、私はゴーゴリの小説の一頁が、生きてそこに立ち現れて来ているように感じたのであった。
 一人の人間が、社会的に有名であるということは、場合によっては、その人の不幸であるばかりでなく、一家一族の不幸とさえなる場合がある。名家二代なし、といった古い言葉は、うがったところを持っている。碌々として、只事なからんことばかりを期し、親の財産の番でもして生涯を終る者ならばいざ知らず、一代で名をなす男女の生涯は、その人たちの属す社会層によって或る基本的な違いはあるが、それぞれの意味で、強烈な生活力の横溢である。時代と、時代によって動かされているその人の属す階級の歴史的な性質に発現の形は支配されているにしろ凡人以上の個性が日夜動いている。つよい電気の中心により弱いものが吸いつけられ、それに従属した形になるのは、家庭の生活の中では一層はっきりした事実である。偉い親父をもって、ひとに云うことも出来ぬ様々の苦痛を経験する息子や娘というものが、この社会にどの位いることであろう。まして封建性のつよい日本のように、高名な
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