[#ここから3字下げ]
よろめけば
よろめく方から打って来る拳に
歯をくいしばって体勢を整える。
    ×
なぐらせるという反抗の仕方だけ残され
憎しみのかたまりとなって
うんとなぐらせる。
    ×
手ばなしでなぐられる
金しばりの中で
頑固に自らを試煉する。(以上、烏三平)
[#ここで字下げ終わり]

 これらの作品は、非常に複雑で熱い意欲をたくみに圧縮しつつ心を打つ力をもっていると思われますし、別な例では、

[#ここから3字下げ]
ようやく終った所長の訓示
ヒヤカシ半分に拍手浴びせ
ワッと喊声あげて職場へ引き上げる。(水原蓮)
[#ここで字下げ終わり]

など、この前にある二首とともに、そこに集る労働者たちの若さ、肉体の動き、足音、身なり、声々まで想像され、よく生活的に描写されていると感じました。情景のまざまざととらえられ感情化されている作品として、「橋梁架設工事」「生活の脈動」「町工場」「シベッチャの山峡」「下水工事場」「三河島町風景」「無題」などの中に、いくつか印象のつよい作がありました。山田清三郎が獄中からよこす歌には(独房集)何とも云えぬ素直さ、鍛えられた土台の上に安々としている或るユーモアの境地があり、作品に独特なおもむきを与えているではありませんか。
 ところで、この『集団行進』をよんでも思うことは、時事問題を芸術として扱うことの必要と同時についておこるその難しさです。ソヴェトの建設について「思想も統制」されることについて、私たちの日常生活は切れない影響をうけているのだから、それらは芸術化されなければならず、更にこういう主題こそ一層の形象化、具体性を必要とすると思われます。詩人の間に諷刺詩の制作の要求がおこっていることは、今日私たちが取りくんでいる社会情勢との関係で謂わば自然な人間的要求の一発露でしょう。詩のジャンルとして諷刺詩というものがあり得るとか、あり得ないとかいう論議より先に、私共は実際生活の場面で屡々《しばしば》それに対して憤りの感情を激発され、しかもそれなりの言葉では云い現わせないという窮屈な事情に出くわしつづけているのです。一九三六年版の年刊には、果してどのように成長した時事的作品が短歌の境域に出現するか、見落せない期待のひとつです。
 山田あき、田中律子という二人の婦人の作品はそれぞれ注意をひき「織布部《おりぶ》のうた」
前へ 次へ
全3ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング