たちは、散文・短歌何によらず、その道での常套で完成したのでは意味がないと思います。まして『檜の影』の同人でいられる方々の御生活、生きゆく思いの痛切なことは、言葉をつくせず、それだからこそ、存在のあかしとして作歌されつつあると信じます。それは格調の緊密なアララギにひかれるのもよくわかります。しかし緊密であるというのは、歌のこころ、歌の世界がひし[#「ひし」に傍点]とうち出されてのことであって、格調を整える語彙《ヴォキャビュラリー》というもの、用語法というもの、ましては型であってはつまりません。
 短歌は日本の民族がもって来た文学のジャンルですから、それを破壊するより、そこに新しい真実と実感がもられるように、歌壇の下らない宗匠気風にしみないみなさまの御努力が希われます。
 登龍のむずかしいアララギ派に云々とかかれている方のお言葉を拝見して、感想をおさえ得ませんでした。ここに古風なギルドがあります。枠にはまった流派の完成[#「流派の完成」に傍点]に近づこうとつい努力する危険があります。『檜の影』のどのお一人が、どんな流派に属する人生苦[#「流派に属する人生苦」に傍点]をもっておられるというのでしょう。
 率直ですこし荒っぽいかもしれないわたしの感想が、散文をかくものからの感想として何かのお役に立つならば幸であると存じます。
 中野重治の『斎藤茂吉ノオト』をおもちでしょうか。窪川鶴次郎の『短歌論』をおもちでしょうか。おハガキ頂きませば『仰日』の御礼のこころとしてお送りいたしますが――
 わたくしはふとっていて、作品を通しての夫人はほっそりと小柄なお方のように思えます。よろしくおつたえ下さい。夫人はどんな本をおこのみでしょうか。[#地付き]〔一九五一年二月〕



底本:「宮本百合子全集 第十三巻」新日本出版社
   1979(昭和54)年11月20日初版発行
   1986(昭和61)年3月20日第5刷発行
底本の親本:「宮本百合子全集 第十一巻」河出書房
   1952(昭和27)年5月発行
初出:「新日本歌人」
   1951(昭和26)年2月号
入力:柴田卓治
校正:米田進
2003年4月23日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは
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