多種多様な働きの電気というものを、人間生活にとりいれ、こわいものから便利なものにかえて来た道が、終始一貫して全く実験の立場からもたらされ導かれたものであることを、コフマンは巧まない健全さで明らかにしている。フランクリンの凧の逸話は人口に膾炙《かいしゃ》しているが、一七五二年の九月の暴風雨のその一夜にいたる迄には、ギリシャ人たちが琥珀《こはく》の玉をこすっては、軽いものを吸いつけさせて遊んでいた時代から二千年もの人類の歴史がつみ重ねられて来ている。電気――エレキへの科学者としての興味をひかれ、実験を試みたことから、幕末の平賀源内が幕府から咎めを蒙った事実も忘れ難い。科学博物館編の「江戸時代の科学」という本は、簡単ではあるが、近代科学に向って動いた日本の先覚者たちの苦難な足跡を伝えている一つの貴重な本である。
それにしても、「科学の学校」を折角訳された神近さんが、原本の後半をすこしのこして「物理の発達」という章を割愛されたというのは、残念千万なことだったと思う。物理のことが語られていたのなら、あるいは数学の発達の歴史の物語も、同じように割愛された頁の中に入っていたのではなかっただろうか。
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