本は年少のひとたちのためとして書いているし、神近さんも、「はしがき」には、子供にこの本を読ませようとする人々のためにという註をつけていられる。
 だが、はたしてこの本は子供の本として私たちの興味や必要から遠いものだろうか。なるほど、科学の本としてとりあげられている題目は重要であるが、書き方は子供の印象に入りやすい方法で、従って局面も限って触れられている。この本に書いてあるほどのことなら、文化に関心をもっている大人が、一人のこさず皆知っているといえるだろうか。
 少くとも私は知っていないことがどっさりあった。その半面には、もっと知っていると思うところもある。私が感興を覚えたのはそこのところであった。一つの風変りな形で、しかも実際的なブック・レビューをして見たら面白くもあるしためにもなるだろうと思ったきっかけ[#「きっかけ」に傍点]はそこにある。そのブック・レビューの方法というのは、この一冊の「科学の学校」を土台として、それぞれの項目について私たちの身近にある種々の科学の本を思い出し、いくらかまとめて整理し、感想をもそれにつけ加えてゆくという方法である。つまり私たちが知識を愛し、それを身につけ、自分やひとの生活をゆたかにして何かの意味で人間の進歩に役立ってゆきたいと思っている日頃ののぞみは、こういう形でも具体化される一歩があろうというわけである。
 若い婦人の感情と科学とは、従来縁の遠いもののように思われて来ている。昔は人間の心の内容を知・情・意と三つのものにわけて知は理解や判断をつかさどり、情は感情的な面をうけもち、意は意志で、判断の一部と行動とをうけもつという形式に固定して見られ、今でもそのことは、曖昧にうけいれられたままになっている点が多い。だから、科学というとすぐ理智的ということでばかり受けとって科学を扱う人間がそこに献身してゆく情熱、よろこびと苦痛との堅忍、美しさへの感動が人間感情のどんなに高揚された姿であるのも若い女のひとのこころを直接にうたない場合が多い。このことは逆な作用ともなって、たとえばパストゥールを主人公とした「科学者の道」の映画や「キュリー夫人伝」に讚歎するとき若い婦人たちはそれぞれの主人公たちの伝奇的な面へロマンティックな感傷をひきつけられ、科学というとどこまでも客観的で実証的な人間精神の努力そのものの歴史的な成果への評価と混同するような結果をも生むのである。
 婦人の文化の素質に芸術の要素はあるが、科学的な要素の欠けていることを多くのひとが指摘しているし、自分たちとしても心ある娘たちはそれをある弱点として認めていると思う。しかしながら、人間精神の本質とその活動についての根本の理解に、昔ながらの理性と感情の分離対立をおいたままで科学という声をきえば、やっぱりそれは暖く躍る感情のままでは触れてゆけない冷厳な世界のように感じられるであろう。そして、その情感にあるおくれた低さには自身気づかないままでいがちである。
 情感をゆたかに高めるというとき、それがどんなに多くの多様な光りを智慧からうけるものであるか、理智と感情とは対立したものでなくて、流水相光を交し、行動とからんで一体として生彩を放つものであるかということを、私たちは感情世界の新しい息づきのためにも実感しなければなるまいと思う。女の肉体と精神との美の標準は変って来ている。その一つの様相として、そのこともいえるだろう。
 さて、「科学の学校」がこれからの夏の一日にめぐり合う運命はあるときは深い樹蔭へたずさえて行かれて読まれるのかもしれない。ある日は、私がそれをよんだように電車の中でつとめの行きかえりに読まれるのかもしれない。
 第一話から第五話まで、コフマンは太陽と七つの惑星、そのなかの一つである地球、その地球のまわりの空気などについて語っている。宇宙の偉大さを感じさせるこの部分は、私たちに岩波文庫に出ている「史的に見たる科学的宇宙観の変遷」(寺田寅彦訳)を思いおこさせる。人類が宇宙へおどろきと好奇の心を向けて以来、その宇宙観察はどんなに推移して来ているかがこの本には述べられている。星と星との距離の測定についても、祖先たちは観測の条件の素朴さからさまざまの間違いもした。コフマンがその成果に立って示している数字が私たちの記憶の基礎にあって初めて、昔の人の示した数字にある面白い誤りも生々と私たちに今日までの研究の意義を知らせるだろう。宇宙への認識は現代次第次第に拡大されますますリアルなものとなって来ている。「膨脹する宇宙」という本は、私の読んだことのない本だが、やはりその推移を描いているのだろう。文学としてのギリシャ神話は宇宙の壮大と美麗と威力とへの関心を当時の都市の形成を反映している神とその人間ぽい生活感情で形象していて面白い。イギリスの十九世紀初頭の詩人画
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