数学の方は、ホグベンの「百万人の数学」上下(日本評論社各二・三〇)が出版されたし、岩波新書に「家計の数学」(小倉金之助氏)同じ著者の「日本の数学」、また吉田洋一氏の親しみぶかく数学の原理を語っている「零《ゼロ》の発見」(岩波新書)などがあるけれど、物理の物語は岩波文庫にファラディーの「蝋燭の科学」のほかフランスの数学者物理学者天文学者であったアンリ・ポアンカレの著述が三冊訳されているばかりで、ポアンカレの述作は、初歩的な読者にとってそう理解しやすいというものではない。
 私たちの物理学の世界に対する知識は現象にとりまかれつつ相当乱雑なままに放られていて、たとえば岩波新書の「物理学はいかに創られたか」(石原純訳、アインシュタイン著)を、表現が砕けていると同じかみくだく理解の力で読みこなせるものが、私たちの周囲に何人あるだろう。冨山房百科全書の「子供の科学」の物理についての啓蒙的な記述があるいはコフマンの「科学の学校」の抄略された頁の幾分かを補充する役に立つかもしれない。庄司彦六博士の「文化の物理学」はそれよりも高い程度で常識に近く扱われている。
 アインシュタインはこの「物理学はいかに創られたか」原名(物理学の発展)の序文できわめて示唆に富んだ数言を述べている。「この書物を書く間に、私たちは之をどんな人たちに読んでもらうべきかについてかなり論じ合い、またわかり易くすることについて苦心しました。読者は物理学や数学の具体的な知識を何ももっていなくとも、適当な思考力をもってさえいればよいと思います」「科学の書物はどれほど通俗的であるにしても、小説と同じようなつもりで読んではならないのが当然です。」
 一冊の「科学の学校」を読みながら、そのおりおり念頭に浮んで来た何冊かの本をノートしただけのこの短いメモを、本当に科学に通暁した人たちが見たらば、その貧弱さ、低さ、範囲の狭さを、どんなにおかしくまた憐れに思うことだろう。
 私は全くへりくだった心持でいわば私たちの知らなさの程度を明らかにすることで、このリストがいつか段々補足され質を高められたものとなり、いくらか有益な読書の手引きとなって若い婦人たちがそのより年若い弟妹たちに与えるにたえるものとなることを願っている次第である。そして、ある年月の後、今日の若い父親たちよりはいささかその常識の内容をひろやかに多様なものとしたより若い母たちが、自分たちの可愛い小さい娘や息子へのおくりものとして、これらのリストの改良された見出しの中から書籍を選ぶ時があるとしたら、愉しい現実的な期待といわなければならない。
 アインシュタインは、世界に卓越した現世紀の大科学者の一人であり、慰みに弾くヴァイオリンは聴く人の心を魅するそうだが、何年か前書いた感想の中に、忘られない文句があった。この科学者は「私は婦人が高度な知能活動に適するとは思わない」という意味の言葉を書いているのであった。女である私たちは、大科学者のこの言葉によって一度は確にしょげるのだけれど、やがてこころひそかな勇気を自分たちの内に感じると思う。何故なら、すべての近世科学の歴史は、たとえばガリレイが十七世紀の地動説をとなえたとき、宗教裁判で罰せられ生命さえ脅かされた事実をつげている。
 しかし、地球は動いているものであったから、その事実はガリレイの死後にやがては承認されることとなった。女も人類のために貢献するために生きたいという希望、そのために知能をもゆたかにしたいという希望を抱いて努力している事実は、いわば地球の動きのようなもので、いつかはそれが承認され具現する可能に向って、今日の文化はジグザグなりに動いていると思う。人間の社会の歴史のある発達の段階では、アインシュタインのような卓絶した頭脳の人でも、やっぱり男としては女を見る従来のある先入観からまったく自由になりきっていなかったということを、二百年後の若いものたちはどんな微笑で回顧するだろうか。[#地付き]〔一九四〇年八月〕



底本:「宮本百合子全集 第十四巻」新日本出版社
   1979(昭和54)年7月20日初版発行
   1986(昭和61)年3月20日第5刷発行
底本の親本:「宮本百合子全集 第九巻」河出書房
   1952(昭和27)年8月発行
初出:「新女苑」
   1940(昭和15)年8月号
入力:柴田卓治
校正:米田進
2003年5月26日作成
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