家であったウィリアム・ブレークが、独特な水色や紅の彩色で森厳に描いた人格化された天の神秘的な版画も、宇宙に向ってのロマンティックな一種の絵として面白いものだったと思う。
 岩波新書で出ている中谷宇吉郎氏の「雪」は、北海道で行われたこの物理学者の研究がきわめて具体的な人間生活への交渉の面から入って意味ふかくのべられていて大変面白い。日本の農業その他と雪とは深いつながりがある。そのことからこの学者の態度も私たちの共感を誘うものである。同じ著者に「雷」がある。雷についての世界の探究にふれて語られていて、平明な用語は私たちに親しみぶかくこの本に近づけさせる。
 第六話。山、氷河、および地殻の歴史を語られるにつれて、私たちの心によみがえるのはチンダルの「アルプスの旅より」「アルプスの氷河」などである。どちらも岩波文庫に訳されているのは知られるとおりである。アイルランド生れの物理学者であったジョン・チンダルは地質学者ではなかったが、数十年をへた今日でも、このアルプスを愛し氷河に興味をもった物理学者の観察の記述は精細さで比類すくないものとされている。面白さ、科学性と人間性の清潔な美しさにおいてもまた比類は少いだろうと思う。若い女のひとたちは山へも登って、自然の容相にどんな心の糧を見出しているのだろうか。
 山に関する本もどっさりあろうと思う。しかし、よく見かけるのはいずれも山に対してあまり抒情的であり、しかもその抒情性がいかにも東洋風で、下界の人間の臭気から浄き山気へのがれるというような感情のすえどころから語られているのが、いつも何か物足らない心持をおこさせる。今日のひとが山を好むのは、さわがしい下界からの逃避の心持からばかりではないだろうと思う。自分の体力、智力、自分とひととの経験の総和についての知識とその実力とが、むき出しな自然の動きと直面し対決してゆく、その味わいでの山恋いではないだろうか。槇有恒氏の山についての本はどんなその間の機微を語っているか知らないけれど、岩波文庫のウィムパーの「アルプス登攀記」は印象にのこっている記録の一つである。岩波新書に辻村太郎氏の執筆されている「山」がある。
 極地探検の記録も人類の到達した科学と自然に対して働きかけてゆく人間の意欲との統一の姿として非常に面白い。岩波新書の「北極飛行」の素晴しさを否定するものはなかろう。バードの「孤独」も歴史
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