念があらわれていると思う。そういう存在として見られ育てられた学生たちは、家庭にあってやはり一種の若き世代としての尊厳と理想とを持していただろうと思う。新しい社会に、新しい家庭生活というものをつくり出してゆく者として自分たちは名誉ある義務と責任とを負わされている自覚を拒んではいなかっただろうと思う。諭吉の「新女大学」はそういう世代の生活の新鮮なモラルの目醒めに呼びかけたものでもあったのだと思う。
今日学生生活はあらゆる面で再編成されていて、学生といえば苦労のない暢気な時代という概念は根柢から変って来ている。学生の二十四時間は、その第一時から第二十四時迄が、何かしら社会的な視線のもとにさらし出されているような感じになって来た。学生は、学生であるということで、自身の時間というものへの愛着を必要としないものとされて来ているようなところがある。未成年者として服すべき義務、受けるべき練成が、その対象としてあらわれていると思う。
家庭の中で、たとえて云えば妹が冗談に、あら、お兄さん、いいの? かけて――学生のくせに、と椅子の不足しているとき兄を睨む気軽さ愛らしさは、そのものとして天上的に邪気がなくても、今日の空気の何かを学生には感じさせるのではないだろうか。ちょいと気のつよい兄さんは、その妹に向ってこんなしっぺいがえしもするのではないだろうか。何しろ外じゃ立っているんだからね、せめてうちの中でぐらい権利があるよ。お前、かわれよ、と。
小さなこんなことでも、今日の青年の我知らず吐露している心理としてそこに注目するべき何かがある。日本の家庭の中に根づよい男の威張りや主張の癖に対して、こういう今日の若い人の心理は、事実上決してより新しく寛闊な家庭生活の習俗を生み出してゆくモメントとはならないのである。
菓子を食べるにしろ、店の飾窓に大きいパイが並んでいて家へみんなの土産にしたいと思えば、店で食べるだけなら売るというのが近頃の風俗である。しかたがないから彼はそこで一人で食べてしまうだろう。家庭では母を先頭としての女性たちが、毎日苦心して台所の運用をやっていて夜の茶の間の話題もそれで賑わう。すこし年嵩な青年たちはこういう話をきくにつけても身体の健康な、家政になれた女性を妻としなければ、とてもこれからは、やって行けないという感想を抱くだろうと思う。その場合、家政のうまさということの内
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