に洩れまいとして滞留客へまで帳面を廻し、ハガキ百枚、二百枚と寄附して貰い、三井さんが一万枚寄附して下すったという騒ぎだ。塩原では、臨時事務所のようなところが出来て、そこでは屈強な若者が十数人鉢巻をして、山積したハガキを書いている。通行人の寄附を待つためだろう。往来に机まで出し、選挙事務所のような有様だ。日日は、頻りに投票ハガキの多いこと、為に中央郵便局の消印機が過熱して使用に堪えぬとか、コンクリートの五階が潰れるとか、センセーショナルな記事をかかげる。都会に起ることは知識階級の注意を呼び醒し易いが、この新八景投票のように地方を中心としている現象は、案外多くの弊を生じつつ黙過され勝だ。芸人の投票を昔小新聞がしたように、投票者が実在してもしないでもよい、数さえあれば――つまり運動費が最後の勝を占めるという風なやり方は、果してどれだけ意味があることだろうか。新聞の広告法だ。同時にそれぞれの地方の或る程度の宣伝にはなるが、このことを目撃し、助力した多くの青年、少年達は、投票ということに対して、どのような観念を得るか。時代は投票の純潔さを益々必要とするのに、実際は、公機であるべき新聞が先棒でその逆が勝利を占めることを実地教訓する。――これは一つの苦々しき滑稽だ。新聞が、いかに理想低き一営業に過ぎないかを表白している。この精神的影響の上に数万円のハガキ代と、運動費、夥しい労力の消耗との結果、新たに八つの俗地が提灯持ち的に紹介されるに過ぎず、結局日日新聞の広告が全国的に最も有効に行われた事実に帰着するのみだとすると、抜け目なき脳味噌よ、悪魔に喰われろ《チョールト・ポベリー》[#「悪魔に喰われろ」にルビ]、と云いたいような気がすることではないか。広告心理研究《サイコロジー・オヴ・アドヴァタイズメント》の、これは、積極的手段の一例、愛郷心及営利心を利用する方法の実例として好箇のものであるに違いない。――

 雨がやんだ。靄が手摺の下まで迫って来た。今にもう少し暗くなると、狭い温泉町の入口に高く一つ電燈が点る。特に靄のこめた夕暮、ポツリと光る孤独な灯の色はその先に海岸でもあるような心持を抱かせる。北の荒れた漁村でもあるような風景を描く。
 おおこれは。――深い靄だ。晴れた黄昏にはこの辺を燕が沢山翔ぶのだが。
[#地付き]〔一九二七年七月〕



底本:「宮本百合子全集 第十七巻」新日本
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