あまり突然だったためか、家中は、気味の悪いほどしんとしている。その寂寞の中で自分の気勢《けはい》に我ながらハッとしたお幾は、袂で啜泣を押えながら、廊下を抜けて勝手知った主人の居間へ行った。そこには、平常よりなお小さく、なお瘠せて見えるお恵さんが、ぽつねんと幼い二人の子供達に守られて、とりまわした逆屏風の此方に坐っている。――
「まあ、お恵さん……」
彼女は、いじらしい友達の様子を見ると、声を立てて泣き咽《むせ》びながら、べったりとそこに坐ってお辞儀をした。
「いったいまあ、何ていうこってしょう!」
肥った丸い顔中を、涙でぐっしょり濡して、にじり寄ったお幾の顔を見て、今まで泣こうにも泣けなかったお恵さんは始めて涙の解け口を見出した。
左右に怯えたような子供達の肩を抱き擁えながら、
「おいそがしいのに早速来て下すって……」
と、云いながら頭を垂れ、膝の上にポタリポタリと涙を落すお恵さんの様子は、どんなに強くお幾の胸を打っただろう。
灯もつけない薄闇の中に、微かな鳴声を立てて寄って来る蚊を追いながら、彼女は痛々しげにこの不仕合わせな友を眺めた。
「本当に不幸な方……」
彼女が知ってから、ただの一度でもお恵さんが晴々と高笑いしたのを見たことはなかった。家柄はよくても、失敗続きで不自由勝ちな両親の手許から離れたかと思えば良人は、生れつきの病身であった。その日の暮しにこそ困らなくても、片時も心の安まる暇のないうちに、こうやって突然子供を抱えて、後に遺されるような目に会わなければならない。――
今だに両親さえ健全で、普通世間で幸福と呼ばれるあらゆる幸福を一身に集めているお幾には、これ等の苦痛は、想像以上の苛責とほか思われなかった。彼女には考えても見られない。その恐ろしい苦しみを後から後からと、よく、どこまでも背負って行くと思って見ると、慎ましい小柄なお恵さんの姿は、さながら悲運の使者のようにさえ見える。ほんとに若しこのまま続いたら、仕舞にはどんなことになるだろう。
お幾の頭には、ふとしたことからつい半年ほど信仰し始めた、天理教の教が何時となく浮み上っていた。あの教では、人が思いがけない不幸や災害に遭うのはきっとその人が、何時か神の御心に添わないことをしているからなのだというのを、種々様々な実例を引いて話されその言葉を信じている彼女は、やはりこの場合にも同様の理論を当箝《あては》めて考えて見ずにはいられなかった。つまり、お恵さんの身に現れて降懸って来たこの度の不幸は、どこかに神の御旨を奉じなかったという因が在って起った果ではあるまいかということになるのである。
そう思って見ると、お幾には総てのことが明瞭になるような心持がした。
お恵さんの不仕合わせが神のお怒りの結果だとすれば、彼女は神様に懺悔してお詫をしさえすればよいのだ。そうすれば神は許してこの先の不幸は取除いて下さるに違いない。そう心附くと、お幾はもう黙って次に来る不幸まで負わせてはいられない心持がして来た。自分でなくて誰が、そんな先々のことまで案じてあげる者があるだろう。
今ここで天理王命のお慈悲にさえ縋れば将来総てはよくなるのだ。
お幾は、やがて涙に湿った手巾を膝の上で石畳に畳みながら、
「お恵さん、誠にこの度は飛んだことで何とも申しようがございません。けれどもね、今もこうやってつくづく考えて見ると、これはどうしても只事ではないという心持がして、仕様がないのですよ」
と、改まって口を切った。
「ほんとにあまり急でしてねえ……只事ではないとおっしゃると?」
お恵さんは一夜でめっきりやつれた顔を物懶《ものう》げにまげて、お幾を見た。
「あのねお恵さん私――フト今頭に浮んだことなのですがね、あなたが若しやひょっとして、神様のお怒りにでも触れるようなことをなさった覚はありゃあしまいかと思ってね。神様というものはもともと……」お幾はチラリと相手を偸見《ぬすみみ》た。
「決して罪のない者に飛んだ不仕合なんかはお授けにならないものなのですものね、だから、若しあるなら早く――」
「神様のお怒りに触れる――何をおっしゃるんでしょう! お幾さん」
お恵さんはぼんやりと自分に凭《もた》れていた二人の子を突除けるようにしていずまいを正した。急な緊張に驚いて、我知らず面をあげたお幾は、思わず身が縮むような何物かを、お恵さんの瞳の裡に読み取った。
お恵さんは感違いをしたのだ、ひどいこと! いやな、いやなこと! 本能的にお恵さんが思ったことを直覚するとお幾は、サッと顔の色を変えながら、あわててお恵さんの膝に手をかけた。
「まあお恵さん、どうぞ! 私決してそんな積りで云ったのじゃあないのですよ、ただ、ね、お恵さん、私信心しているものだから……」
救いを求めるような手を、お恵さんは静かに
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