湧いて来るように感じるのである。
 素直なお恵さんは、この刺戟一つに対しても、お幾の友情を徳とした。
 彼女は、心から、
「ありがとう。私も確かりしますわ。本当に、自分の心ほど、自分で判るようで判らないものはないのですものね」
と云った。
「私も、せいぜい元気になりますよ」
 二人は、笑顔を見合わせた。
「そうですとも。私だって、出来ることなら、この体の半分も、あなたに足してあげたい位に思っているのですもの」
 自分の言葉が、快よく受け入れられた歓びで、お幾の血色よい顔は、一層つやつやと輝くように見えた。
 彼女は、気軽な滑稽を云いながら、淑子や女中を集めて、御持参の鮨の折を開いた。

 それから間もない或る朝のことであった。
 お恵さんは、いつものように、手軽な朝飯を終ると、身仕度をし、自分で夜来閉された門を開いて家を出た。ひどく靄《もや》の濃い朝である。
 ひっそりした午前六時過の天地は、一面、乳白色の、少しきな臭いような靄に包まれ、次第に昇る朝日に暖められた大気が、水のように身辺を流動する。
 奥には溶けるような薔薇色の輝やきを罩《こ》め、稀な人影を、ぼんやり黒く浮上らせる往来の様子は、彼女の心に、珍らしい美しさを感じさせた。
 ところ、どころの靄の切れめからは、チカチカと粉のように耀く杉の黄葉や樫の梢が見える。一間二間と、歩みにつれて拓けて行く足下の往来の上では、濡れ湿った小石の粒が、鋭い少年の眼のような反射をなげる。
 まだちっとも塵の立たない大きな屋敷の塀の内で、元気な犬が、胴震いをして頸輪を鳴らし、嗅ぎ音を立てながらあっちこっちしている気勢なども、如何にも快い十二月の朝らしく響いて来る。
 何に行手を遮られることもなく、寒く、しかも暖く靄と太陽とに纏まれて歩いていると、お恵さんの心には、何とも云えない平安が満ち溢れて来た。
 この道も、幾度通った処だろう。時には、明朝を想うさえうんざりして、のろのろ足を引擦って来たことのある路だ。
 それが、今朝は、まるで違った世界に在るように気持よい。自分が、近頃になく心持よく、若返ったように感じる通り、自然も、子供で、愉快な活力に横溢しているように思われるのである。
 彼女の足は、自ら軽々と動いた。こうやって行くと、まるで、勤めで、ここまで行かなければならないという歩行ではないような気がする。焦ることもなく、思い煩
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