そうね、どの位あるか」
お恵さんは、ぱっちりと眼を開け、心持上目で笑い出しながら、お幾を見た。
「あなた、御自分でお歩きになったことがあって?」
お幾も、この、穏やかな問いには、急処を突かれた心持がした。半分は大儀から、半分は、余裕のある生活の習慣から、彼女は、十町と、自分の足で歩いたということはなかった。
電車の通じる東京でありながら、それを利用出来ない不便な町筋を、寒い朝まだき、小一里歩かなければならない者の苦労を、お幾は、思っても見なかったのである。
さすがに彼女も、直ぐには次の言葉が継げなかった。然し、お幾は、間もなく生れ付きの楽天的な気質で、さらりと心を取なおした。今、これ位のことで怯んでいるべき場合ではない。若し一寸でも、お恵さんの心に懈怠心がきざしているとしたら、それを剪《つ》んで、本道に還して遣るのは、自分を措いて、誰がするだろう。
「ねえ、お恵さん」
お幾は徐ろに、口を切った。
「私は、どうもあなたの信心も峠に掛って来たと思いますよ。御自分ではまだ気がおつきなさらないかもしれないけれど――私も、随分、いろいろな人を見ていますからね」
「そうでしょうか……でも」
床の上に坐り、羽織を着換えながら、お恵さんは、いつもの穏やかな調子で、反問した。
「峠にかかるにしては、あまり早いじゃあありませんか。お話を伺い始めて、いくらにもなりませんよ」
「時からいえばそうですけれどね――同じ痲疹《はしか》でも、早くしてしまう児と、大きくなってする子とありましょう? やっぱりあれと同じですわね。あなたも、ほんとの信心に入れる者か入れない者か、神様のお試しに逢い始めなすったのではないかと思いますよ」
お幾さんは、それから、聴きての心を傷《そこな》わないように、しかも、自分の足場は一歩も譲らない熱誠で、神の懲戒ということを説明した。
人間が、ただ肉体の安逸のみを貪る時、現れる神の憤りは、どれほど激しいものであるか。教祖ほどの卓越した婦人でも、自分の勝手から、何か神の御旨を奉じないことがあると、他人の力や薬の力では、何ともしようのない苦悩に遭った。あなたの体の苦しいのも、或は、魂のどこかに、怖ろしい懈怠心が起り始めたので、神様が予告して下さるためではないだろうか、というのが、お幾の推論なのであった。
「ほんとに、信心は、一大事ですよね。全く教祖様のおっしゃ
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