が死ぬよりも幾層倍苦しいか分らないと思いますわ」
微笑もうとしたお恵さんの唇は空しく震えたまま、眼から涙がこぼれ落ちた。
悲痛な言葉を聞き、お幾は殆ど身動きもならないような何物かに心を圧倒された。何か云ったら、飛んでもないことを云いそうで――お幾は今自分がものを云ったら、云うほどのことが、皆空虚なお坐なりに聞えそうな不安な気がした。「………」丸いお幾の顔には、当惑に近い苦しげな表情が表れた。
「それでね、考えれば考えるほど、いても立ってもいられない心持がして来るのです。きっと、自分が親として、また妻としてあまり至らないので、神様が惜しんであの子をお取上げになってしまったのではあるまいかとさえ思います。ほんとに広田や私の善いところだけを選んで生れついたような子でしたもの――」
「まさかそんなことがあって堪るものですかお恵さん、あなたがあまり思い過しておしまいになるのですよ、けれども――」
お幾は急に心を横切った或る内密な喜びで、我知らず顔中を輝かせた。
「若しあなたがそうお思いなさるのなら、心のすむようになさるのは好いことですわね」
「そうでしょう? ですからあなたもおっしゃるように、今度をいいきっかけにして私、天理教のお話でも伺って見ようかしらと思い立ちましたの。若し私が不束《ふつつか》な故で、淑子まで、可愛そうに、不仕合わせになったらそれこそ生きてはいられません。誠之のためにも何かの供養になるでしょう」お恵さんの頬にいつも絶えない、弱々しく淋しい微笑がまたそっと忍び込んだ。
「そして、皆にお詫を致しますの」
「まあお恵さん……」
ふと会った視線を避け、お幾は思わず伏目になった。かねてから思いもし願いもしたことが、現在の事実となって目前に現れて見ると、彼女は些《すこし》も予想したような、晴々とした大悦びは感じ得なかった。
却って、何か今迄の自分の経験の中にはないものを、お恵さんは確かりと我ものにして、小さいながら、弱々しく見えながら厳かな重みを持て据ったような心持がする。お幾は、先刻《さっき》までは十分に重かった自分が、俄にふうっと他愛もなく軽いものになったような心持がした。
けれども、もう二十年も以前にその青春時代の教育をうけた彼女には、自分の胸に湧き起ったそれ等の気分がどこから来たのか細かに考えるだけの力は持たなかった。
富裕な、地上的にあらゆる幸
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