し、よき生活に導き合った一対の夫婦が、一人の子をも持たなかった場合、其等の人々の経た結婚生活の価値は如何う定められるべきなのだろう。

 彼等の運命より
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「自分が如何なる醜さを、彼女の前に暴露しても、彼女が其を可厭がらない事であった。彼女がよしそれに驚いたにしても 彼女の彼に対する無限な愛と、彼女自身の中の『先天的罪《オリジナルシン》』とは快く其を宥すのだ。そしてそれが又彼女を暗黒的に喜ばすのだ。」
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 此は、人が快感を以て行なう寛裕と云う態度の中の、或点を考えさせるものではあるまいか、特に愛して居る者の間に於ては。
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女性と男性との差は、斯う云う心持に於ても何か異っては居ないだろうか。
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 ○彼等の運命の裡に於て、長与氏は、性慾を極端にまで厭うべき文字で呼んで居る。
「結婚した許りの夜と同じく獣の真似をして居た。」或は「獣的遊戯」と呼んで居る。然し、性慾は、或は夫婦間の交接と云う事は、左様云うような不正な、根本的に暗黒と、否定と、堕落とを意味するものであろうか。
 勿論、其にふける事は恐ろしい。其の機械として対手を見、その快楽から、人格的価値抜きに対手を抱擁する事は愧ずべき事だ。
 人が、陥り易い多くの盲目と、忘我とを地獄の門として居る為に、性慾が如何に恐るべき謹むべきものであるかと云うことは、昔の賢者の云った通りである。
 然し、本然が暗と罪と堕落なのであろうか。此処に来ると、自分は長与氏、又は、トルストイの考えとは同一仕かねる。
 性慾は、本来に於て、厳粛な責任と、反省と、義務とを負担し伴ったものであると思う。故に、その純粋な場合には必ず其等の一面も影となって人の意識にのぼって来る。
 此点から云うと、性慾生活に於て、或は生理的な条件から其等責任感を、本能的に直感して居る女性の方が、多くの場合、性慾の純粋さを保ち得るのである。
 男性よりも、女性の方が、愛を持たずに性的交渉を持つに堪えない感情を持って居る。
 男性の方が、情慾にのみ左右され得る。然しもう一つ異った場合、仮令えば、夫婦関係に於て、愛から女性は放縦な性慾の対手と成るに甘じる場合がある。
 多くの女性は、斯う云う時、愛から獣に成り下った事を知らない。が、或程まで心のある男は、斯う云う場合に在っても、自分の
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