子の姿を見ると、彼女は、
「まあ、貴女が来ていたの」
と他意ない調子で驚を示した。
「さっきから、何だか人の声がすると思ったら――」
嫣々《にこにこ》して母娘を見較べる米子に、おくめは、心持身を開いて娘を引き合わせるようにしながら、
「麹町から用があるとかいって、参りましたものですから……」
と云った。後について、のぶ子はつつましく、
「まことに相すみませんが、一寸お暇がいただけますでしょうか、急な用があるというものでございますから」
と、主意を明かにした。彼女は、母親にだけまかせて置いては、なかなか用向が通らない歯痒《はが》ゆさを覚えたのである。
「まあ、そうこれから直ぐ行くの? 勿論、行ったって構わないけれども、折角、おのぶさんも来たんだから、一緒に御飯をすませて行ったらいいでしょう」
米子は、年に於ては、のぶ子と幾何《いくら》も違っていなかった。自然、ちょくちょく日曜などに来るのぶ子に対しても彼女は、冷かでない好意を持っていたのである。
「お正月に、ゆっくり遊びに行って来たらいいだろうというのに、おくめさんは、遠慮ばかりしているのだもの」
彼女は、のぶ子を見て一寸笑った。
「――じゃあ直ぐ仕度をするといいわ、私がお膳立てはしてあげるから」
「そうでございますか?」
おくめは、始めて亢奮を包みきれない声を出した。
「それでは、真個《まこと》にすみませんが、一寸やっていただきます。直ぐ帰って参りますから。――何だろうか」
そう定《きま》ると、彼女は、ろくに米子を見てもいられない風で娘の方に向いた。
「着物を着換えて行かなけりゃなるまいか、寒いのに億劫《おっくう》だね。……髪もこんなだし、……まあ、いい。仕様がない」
おくめは、もう主婦の前などを取繕っている余裕はないらしかった。皿小鉢などを、茶の間に運ぶ米子の傍をすり抜けて、自分の部屋に入ると、後から後からとのぶ子に相談をしかけては、水櫛で鬢《びん》をかきつけ行李の底から外出《よそ》着の羽織や襟巻を出し、手伝うにも勝手が判らないで立っている娘の廻りを、おくめは、四畳半一杯に動き廻った。
そして、息を弾ませるようにして、せかせかと、古風な下着の襟がちぐはぐに出過た胸元に、黒繻子の帯をしめた。
「おや。ハンケチを見なかったかい。困っちゃうな、滅多に改った風なんかしないもんだから……お前はもうそれでいいの?」
前へ
次へ
全15ページ中4ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング