道を、歴史小説に於て辿ったことも肯けるのである。
 鴎外の歴史的題材を扱った作品の、略《ほぼ》「栗山大膳」ぐらいまでを歴史小説と云い、「澀江抽斎」「伊沢蘭軒」などを事実小説とする斎藤茂吉氏の区分も、私たちには何となしぴったりしない。最後の二作は伝記であると思われる。小説という文字が使われなければならないとすれば、それは伝記小説と呼ばれてはいけないのだろうか。

 芥川龍之介が、漱石に推賞されたのは「鼻」という歴史的な題材による作品であった。「羅生門」「地獄変」「戯作三昧」その他、芥川龍之介の作品には歴史的な人物を主人公としたり、古い物語のなかに描かれている人物をかりた作品が多い。
 大体、大正初頭、鴎外が歴史小説に手を染めはじめた時分から数年間、日本の文学に歴史的な材料を扱った作品が多くあらわれた。そして、それが、各々の作家たちを新しい道に押し出し或は文学に初登場させたばかりでなく、それから後につづく十年の間にそれらの作家たちが時代の推移につれて激しく社会と文学とに揉みぬかれなければならなかった。その時に当って、各作家が自身のものとして示した生きかたの萌芽が、すでに、この大正初頭の、歴史的素材へ向う各作家の態度のうちに含まれていたということは、歴史的文学のこととして今日私たちに実に教うるものが多い点だと思う。
「地獄変」「戯作三昧」にしろ、芥川龍之介が王朝の画匠や曲亭馬琴を主人公としてその作を書いたのは、決して所謂歴史小説を書こうためではなかった。人物と時代とを過去にかりて、テーマは作者自身の現実生活に横わっている芸術上の勇猛心を描こうと試みたものであり、或は文学における芸術性と社会性との問題についての疑いを語ろうとしたものであった。テーマは作者の主観において極めて生々しいものであり、当時の日本の文学の諸相との関係では、文学論議の中心課題をなした問題であるという客観的な重要さも持っていた。芥川龍之介は、それらのテーマを何故、殊更絵巻風の色調に「地獄変」として書かなければならず、侘びの加った晩年の馬琴の述懐として行燈とともに描き出されなければならなかったのだろうか。
 芥川龍之介という作家は、都会人的な複雑な自身の環境から、その生い立ちとともに与えられた資質や一種の美的姿勢や敏感さから、それらのテーマが主観のうちに重大であり、客観的に注目をひくものであればあるだけ、い
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