的意味もまた少ないであろう。

 作家が一つの作品から次の作品へと正しい発展をとげてゆくことは、困難な努力のいる仕事である。ブルジョア作家たちは、その本質から、作家としての完成を個人的自己完成としてしか理解し得ないため、その努力を取材から取材への一見めあたらしげな転々たる移行およびその扱いかた、書きかたの練達へと集中する。彼らはいかに数多く一つから一つへと書きまわろうとも、ブルジョア的世界観の上に立っている以上主観の真の意味における発展はない。いきおい陳腐な本質の粉飾としての形式主義に、芸術至上主義に堕さざるを得ない。
 この点プロレタリア作家は全く根底を異にしていると思う。プロレタリア作家こそプロレタリア階級の発展の各モメントとともに発展し得る。プロレタリア作家が唯物弁証的把握によって自身の階級の当面の革命的モメントを正確に政治的に把握し得さえすれば――社会的矛盾における複雑活溌な相互関係とそれに対して階級として働きかけるプロレタリアートの革命性を具体的にとらえ得さえすれば、作品における主題の積極性、発展性は革命の進展につれて押しすすめられ得る。この意味でプロレタリア文学および作家の
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