んな分隊、野営をチャーリーが知っているのか、読者にはわからずに、はなはだ不安である。「本」をよますと「正確な理解力」を示すというが、それはどんな本であろうか。子供らは質問するというが、七百万人の失業者のあふれたアメリカの子供、牛乳業トラストが市価つり上げのため原っぱへカンをつんで行って何千リットルという牛乳をぶちまけ、泥に吸わせ、そのために自分たちの口には牛乳が入らないでウロついているアメリカ勤労階級の子供らは、亀のチャーリーにどんな、現実的なプロレタリアの子供らしい質問をするか? 子供らがピオニイルにならずにおれぬモメントはどこにあったのであろうか?
 最も興味あり関心事であるべきそれらの点を、作者は機械主義で片づけている。同時に、一人の子供をピオニイルにしようとし、なし得たことによって得た経験が、亀のチャーリーの心持をプロレタリアとして、またアメリカ帝国主義の下で有色人種労働者として二重の搾取と抑圧とに闘っている日本人移民労働者としてのチャーリーの心持をどのくらい高め、鼓舞し、生きてゆく日常の世界観を変革したかというようないきいきした人間的階級的摂取は、作品のどこにもあらわれて来ない。
 その例は小説の初めに、風邪をひいてしょげた亀のチャーリーの心持とその次の不自然な、非現実的飛躍に現れている。しょげたチャーリーは平凡らしく、金もたまらず、妻も子も持てずに働きつづけ、今や体が弱って髪の白くなったのを「これが日本人労働者の運命なのだ」とこぼし、更に「おまけに、お前が気が弱くなったのは、体が弱ってきたセイってよりも、むしろ恐慌のセイらしいぞ」と弱気な、非闘争的なダラ幹魔術にかかっているような述懐をもらしたかと思うと、忽然として次の行では作者はそのチャーリーに「収入が減ったって、だがそれ以上のものがあるんだ」と意気込ませている。そしてつづけていっている。「今年の宣伝のためにはこの恐慌はウンと有利だ」と。
 作者の非プロレタリア的現実把握が微妙に右の一二行によって暴露されている。即ち、チャーリーの本当の気分は恐慌によって弱くなっているのだが、宣伝のためには有利だと、まるで第二インターナショナルの職業的社会主義者のように、切迫した恐慌による階級と階級との対立を人為的にみている。三十年間にうけた抑圧との闘いによってプロレタリアとして目覚めた一移民労働者が、今や彼の賃金を百ドルから七十ドルに切り下げる恐慌に対して、利害の衝突する二つの資本主義国家間の泥仕合的排外主義に対し、ピオニイルの養成にも熱誠を示すというようなのでは決してない。
 プロレタリアートの心持を書こうとして客観的現実と主観とが非弁証法的な分裂をとげたというのではない。
「亀のチャーリー」は、生々したたくましい現実としてのプロレタリアートの日常に作用している革命性、そのための組織など書いていない。ましてや、一九二九年来の恐慌が一層深刻化し、資本主義の局部的安定さえ今は破れ、資本主義国家と資本主義国家との衝突の危機が切迫している現段階のプロレタリアートのピオニイルという最も革命的組織的なものにふれつつ、それを最も非組織的に非現実的に描くことによってプロレタリアートの力を背後に押しかくし、亀の子、子供、子供ずきの孤独な移民チャーリーと市民的な哀感をかなでている。
 作者は「移民」という小説を近く発表するらしく広告で見た。しかし「亀のチャーリー」のように、主題の把握においてプロレタリアートの闘争から切りはなされ、プロレタリア作家に課せられている課題から逸脱したものであるならば、「移民」の書かれる革命的意味もまた少ないであろう。

 作家が一つの作品から次の作品へと正しい発展をとげてゆくことは、困難な努力のいる仕事である。ブルジョア作家たちは、その本質から、作家としての完成を個人的自己完成としてしか理解し得ないため、その努力を取材から取材への一見めあたらしげな転々たる移行およびその扱いかた、書きかたの練達へと集中する。彼らはいかに数多く一つから一つへと書きまわろうとも、ブルジョア的世界観の上に立っている以上主観の真の意味における発展はない。いきおい陳腐な本質の粉飾としての形式主義に、芸術至上主義に堕さざるを得ない。
 この点プロレタリア作家は全く根底を異にしていると思う。プロレタリア作家こそプロレタリア階級の発展の各モメントとともに発展し得る。プロレタリア作家が唯物弁証的把握によって自身の階級の当面の革命的モメントを正確に政治的に把握し得さえすれば――社会的矛盾における複雑活溌な相互関係とそれに対して階級として働きかけるプロレタリアートの革命性を具体的にとらえ得さえすれば、作品における主題の積極性、発展性は革命の進展につれて押しすすめられ得る。この意味でプロレタリア文学および作家の
前へ 次へ
全8ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング