周章した後姿、風に動く草まで、総て秋蕭々と細長い中に、たった一つ石榴の実は円く重そうで、朝子に何か好もしい感じを与えた。
 朝子は立止って、秋風の午後に光る石榴をながめた。
 締切りで、毎日編輯所に用がある。
 朝子はこれ迄と方針を変え、同じ沈滞した雑誌にも幾分活気を与えるため、経済方面の記事、時事評論など加えることにした。そのためにも用事が殖えた。朝子は、仕事に一旦かかると、等閑に出来ない気質を現わして働いた。
 ほんの一時的な火花で、神経が疲れていたせいだという位に考えていた、先夜の、大平との感覚は、思いがけずいつまでも朝子の心に影響をのこした。編輯所で手が空き、窓から濠の景色を眺めている。浅く揺れる水の面に、石垣とその上の芝との倒影がある。水に一しお柔かな緑が、朝子の活字ばかり見ていた眼に、休安を与える。微かなくつろぎに連れ、そんなとき、朝子の心に、例の引っぱりが感じられた。引っぱりは、依然重く、きつく、暗かった。然しその暗さは、精神上の不幸のように心から滲み出して、眼で見る風景までを黝《くろず》ませる種類のものではなかった。緑はどこまでも朗らかな緑に、日常のすべてのことに昨日、今日、一昨日そのまま純粋に感じられる。それ等とまるで対立して一方に暗い引っぱりと、それに牽《ひ》かれて傾く心の傾斜とを感じているのであった。片側ずつ、夜、昼と描き分けられた一面の風景画のような心であった。言葉にすれば『苦しいぞ、だが、なかなか悪くない』朝子はそんな心持で、切ない自分の心の、二重の染め分けを眺めた。
 朝子が、夫を失ったのは二十四のときであった。彼女は近頃になって、元知らなかった多くのことを、男女の生活について理解するようになった。彼女の中に、半開であった女性の花が咲いた。
 若し今まで結婚生活が続いていたら、自分はこのように細かに、何か木の芽でも育つのを見守るように心や官能の生長を自分に味うことが出来たであろうか。朝子はよくそう思い、世間並に考えれば、また当時にあっては、朝子にとっても大きな不幸であった不幸を、ただ不運とばかりは考えなかった。女一人の生長。――自然はその女が夫を持っていようといまいと、そんなことに頓着はしていない。時が来れば、花を咲かせる。――自然は浄きかな――
 然し、朝子は大平を愛しているのではなかった。彼のは、朝子が再び結婚を欲しない意味とは全然違
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