議士に対して、これら保守の党は、どんな責任と義務とを感じているのだろうか。今のところ、まるでその実在性を念頭においてさえもいないように見える。保守の党が中央部、又は執行機関に婦人代議士を一人も包括しようとしていないばかりか、社会党も、婦人代議士は婦人部で、という風で、一政党の政策というよりも社会政策的な婦人部案を発表している。これらの立場は女としてはた目にも切ない。婦人代議士たちは代議士になってみて、今更切実に、既成政党が婦人代議士に求めていたものは、宣伝の色どりであって、実質的な政治への参加でもなければ、婦人の社会的、政治的成長でもなかったことを知らされているのである。婦人代議士の質が低いためばかりでなく、既成政党の本質的な封建性のあらわれなのである。
 婦人代議士ばかりがかたまろうとするならば、その集団の力で内外へ働きかけ、各自の党が、婦人代議士たちの存在に組織的な現実性を賦与するよう、組織の内部へ正直に婦人代議士をも編み込むよう活動することに、最良の、そして最も適切な方向がある。もし、女ばかりの小集団になれば、既成各党は、何の苦痛も感じることなく「ああ、それは御婦人たちの提案で」とスーとわきを通過してしまうだろう。既に、米の三合配給などを公約した婦人たちは、途方にくれる立場にさらされている。自由党はそのような公約はしないといい、進歩党は「俺は知らないよ」といい、社会党は、落選代議士の公約であるという説明を与えている。婦人代議士は、私たち日本の婦人があらゆる場面で経験しているように、今や「婦人のことは婦人で」解決するためにも、日本の封建性と既成政党の腐敗とに対して、精力を傾けて闘わなければならないという教訓に面することとなったのである。
 各婦人代議士たちが、公約履行の責任を明らかにするためには、自党の封建的な性格と組合ってそれを打破してゆかねばならず、そのためには、自身既成政党への再認識を明らかにして、一般の民主的輿論の圧力と結合し、自党内における婦人代議士の位置と「彼女達の公約」を政党としての公約として確立しなければならないのである。反民主的な演説の筋書きを与えられ、おくれた日本の、ものの考えかたにアッピールした婦人代議士は、今日自身の存在のために、そのようにして自身を立たしめた保守の力に向き直って闘う必要に迫られているのである。
 今回選ばれた婦人代議士たちの質がどうであろうと、明日において更に成長しようとする私たちは、これらの事情を、日本民主化の過程にあらわれた一教訓として見る。そして学び得る最大のものを、今回の一票から学びとろうとしているのである。[#地付き]〔一九四六年六月〕



底本:「宮本百合子全集 第十六巻」新日本出版社
   1980(昭和55)年6月20日初版発行
   1986(昭和61)年3月20日第4刷発行
底本の親本:「宮本百合子全集 第十二巻」河出書房
   1952(昭和27)年1月発行
初出:「婦人公論」
   1946(昭和21)年6月号
入力:柴田卓治
校正:磐余彦
2003年9月14日作成
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