と云う
それを或日本の海軍将官が英国で買った。六年の間に一分進んだばかりなので、この次英国に行った時、店に行ってほめた。そしたら、六年の間に 例え 一分でも進むようなことがあったら、標準時計にはなりません。これは久しい間試験したのですからと云って、新らしい別なのと代えてくれた。
この話を基ちゃんからきき、自分はそんなに正確な時計を持って居る人間が若し神経質だったら、どんなに恐ろしく、生命の粒のこぼれて行くのを感じるだろうと思った。
始めそんなに正しいのを持ったよろこび。やがて不安。
その心持は短篇にまとまる。
○時計で南北を知るには、直射光線にうつる短針のかげをかさね、十二時とそれとの中央を南とし、正反対を北。
○列車の速力は、二十二秒半にこすレールのつぎめの数が時数。
ドイツに Wanderlied の多いこと Faust でさえ、一種のヴァンデルリードではないか。
ドイツ人の心持。
イギリス人にない。
日本人は?
六月二十三日
梅雨のはれ間、激しい西北の風とともに空はすっかり霽《は》れ上った。
庭に出、空を仰ぐと、深い一片の雲もない天に、月と星とが、小さく、はっきり見える。中天に昇って居る故か月は、不思議に小さく近く見えた。何か見えない糸で天から吊るされ、激しい風が吹き渡る毎に、吊下げられた星や月も揺れまたたくように思える。
又他の風景。
七八月のような大暴風雨の後、梅雨がすっかりはれ上った。柔い若葉をつけたばかりの梧桐はかぜにもまれ、雨にたたかれた揚句、いきなりかっと照る暑い太陽にむされ、すっかりぐったりしおれたようになって、澄んだ空の前に立って居る。
六月の樹木と思えない程どす黒く汚く見えた。
六月二十四日
見えないところから、月の光が廊下に流れ込んで居た。硝子戸を透して、地に堕ちて居る樹木の陰や黒々と立って居る松の深い梢を見ると、自分は急にうすら寒い、凍りついたものを見えるような心持に打れた。
◎
“暗い部屋から茶の間の方に行こうとすると、畳廊下の下に、錯綜して、明るく、暗く走せ違って居る部屋部屋から洩れる光りで、自分は変な目まぐるしさを覚えた。襖に当って屈曲した三尺幅の光の波が、くっきり斜に、表現派の舞台装置のように、光度を違えて、模様を描いて居る。
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