たびあります。しかしその場合ほとんどすべてが商業主義の出版と、営利的なジャーナリズムにたいして、文学・芸術の独自性を守ろうとしたことが動機です。アメリカやアイルランドの小劇場は興業資本にたいして、金儲け専一でないほんとうの劇場、ほんとうの演劇をもちたいという希望をもつ人々によって創られたものでした。出版事業にひきずられっぱなしでない出版をして、たとえば、ヴァージニア・ウルフ夫妻が中心でこしらえていたような出版社をこしらえていたこともあります。ところが日本の今日は、その点、非常に注目すべき現象を持っています。たとえば鎌倉文庫は出版インフレ時代に経済的ゆとりをもつようになった作家たちが集って、財産税だの新円の問題に処してつくられた株式会社のように見えます。営利ジャーナリズムとして存在しつつ、作品発表の場面も確保してゆく。利潤の循環が行われる仕組です。出版会社、鎌倉文庫は『人間』『婦人文庫』その他『社会』までを出しています。『社会』第二号の口絵にのせられた貝谷八百子のヴァレー姿の写真を人々はなんと見るでしょう。こういう写真をのせる『社会』を出している会社を川端康成その他がつくっているということについて、感じるおどろきはないでしょうか。
ある種の文学者たち自身が営利的ジャーナリズムに関与しはじめたということのほか、今日どういうやりくりをしてか三百余種の文芸雑誌があるということを思えば『新日本文学』が紙のないためにあんな薄っぺらなものを間遠にしか出しえない事実は、私どもを深く考えさせます。日本の民衆が持っているはずの言論の自由・出版の自由ということは、はたしてどのように実現しているでしょう。民主的出版は芽生えのうちに、用紙のおそろしい闇におしつぶされかけています。日本出版協会の用紙割当は闇紙への権利確認のような実状に陥っていて、政府はさらにその用紙割当を自分の掌の下でやろうとしています。
出版面における戦犯出版社の問題も不徹底に終りました。彼らのこしらえた自由出版協会に参加している戦犯的な出版社はむしろ用紙割当の上位をしめているありさまです。
文学作品との直接のつながりから見ますと、今年の一月ころから三月ころまでの間最初の四半期は、さっきちょっと触れたように、民主主義が初々しく、ややまじめにあつかわれた時で、まだそこにどんなはみだしや歪みが出てくるのかわからないから用心ぶかくやってみるという足さぐりの時代だったわけです。
この足さぐりの時期には、戦争遂行に協力した作家たちは作品発表をせず、ジャーナリズム自身の存在安定のためにも、執筆依頼はひかえておくという工合でした。永井荷風がある時期にあのような作品を続々と発表したということには、日本の現代文学の深い悲劇があります。荷風は、明治四十年代にフランスへ行き、当時のフランス文芸思潮の中で、デカダンスは、フランスの卑俗な小市民的人生観にたいして反抗する精神の一表現であるということを見てきました。自分もそういう意味でのデカダニズム、反抗精神の一つの現れとしてデカダニズムを近代人たる自分も持つつもりでいました。ところが、日本へ帰ってみると、日本の半封建の精神とフランスの近代性、フランスのデカダニズムの社会的精神的必然との間に非常な歴史的地盤の相違があって、永井荷風は、自分の見いだそうとした精神のよりどころを、当時の日本の社会対自身のうちに見いだせなかった。封建的な日本と闘ってゆくその自由さえ、デカダニズムをもって抗すべき近代小市民生活の自主性さえ、日本には確立していない。その結果荷風は、ヨーロッパふうな社会的なものの考えかたは放擲して、自身の有産的境地のゆるす範囲に※[#「革+(韜−韋)」、第4水準2−92−8]晦《とうかい》して、好色的文学に入ってしまった作家です。社会に発現するあらゆる事象を、骨の髄までみて、そこに出てくる膿までもたじろがずに見きわめる意味でのデカダニズムからははるかに遠くなってしまった。年齢と経済力とに守られて、若い幾多の才能を殺した戦争の恐怖からある程度遠のいて暮せたこの作家が、それらの恐怖、それらの惨禍、それらの窮乏にかかわりない世界で、かかわりない人生断面をとり扱った作品が、ともかく日本で治安維持法が解かれた直後のジャーナリズムを独占した、ということは私どもにとって忘れることのできない現実だと思います。
志賀直哉の「灰色の月」、佐藤春夫の作品なども同じようにはじめの四半期に現れました。が、これらの作家の作品は、私どもの文学世代がすでにその人々の足の下からはるかに遠く前進してしまっていることを痛感させたと思います。
三月から後、いわゆる働きざかりの中堅作家がジャーナリズムの上に出てきました。これらの作家がカムバックしたといわれています。「カムバック」というのは
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