人間な惨虐を行い、あるいは行わせられたことを知りました。これは私たちすべてにとって心からのおどろきであり苦痛です。
だいたい芸術家というものは現実を綜合的に感じとる能力をもっているはずだと思います。人間としての良心、芸術家としての良心に立って書いたと思っていたものが、すぐその作品の後で信じがたいくらい暴虐なことが行われていたことがわかったとき、「北岸部隊」の作者は兵隊たちと、自分と、一般民衆に加えられた欺瞞と侮蔑にきびしく心をめざまされ、現実をそんなにいいかげんにしか扱えなかったことに作家としての自身をむちうたれ、悲しみと憤りにたえがたいところがあろうと思います。作家としての目の皮相さについて、慙愧《ざんき》に耐えないのが本当です。自分としての動機が純であればあるほど、この打撃は痛切なはずです。そこにこそ、その作家にとって昨日はなかった今日および明日の芸術のテーマが与えられているわけです。作家として意欲するにたりるモティーヴがあるわけです。そして、このテーマこそ、日本民衆の心の底からともに鳴ることのできるものではないでしょうか。今日、その作家が、忠実にその点をとらえて新しい自分の文学の一歩を前進させたならば、それこそ日本文学の問題として意味あるカムバックです。三月ころから後いわゆるカムバックした中堅作家のほとんど全部がジャーナリズムの安易さによって活動しはじめて、自身にとっての真の文学的発展のモメントは、かえってイージーに流してしまっている点は、こんご新しい文学の発展について語るについても、けっして無関係ではありえない点と思います。
交錯する諸傾向
ジャーナリズムの上にこのようにして再登場してきた既成諸作家一人一人の傾向はたがいに錯雑しています。戦前のようではなく、戦争中のままではもとよりなく、さりとて、ほんとうに民主的になろうとし、旧套から脱して人間らしい人間に立ち上ろうとする意欲と力に満ちているというのでもない。
舟橋聖一の「毒」に示された一種の露悪的な文学の傾向があります。石坂洋次郎、丹羽文雄などもその傾向の作品を示しています。舟橋聖一、丹羽文雄などという作家は、そのときはこういう時代だったんだ、という態度でつきはなして、露悪的に戦時の現実を見て描いているのが特徴です。作家としての自己の人間的探究とか、一定の環境において人間・作家として感じる責任という点は抹殺して、主人公の卑劣さ、劣等ささえ、外部の力のせいであるという他力本願の扱いかたです。これは、過去の文学において、個人の確立がされていなかったことのいっそう複雑にされた反映ではないでしょうか。
芸術というものはいつも自分からぬけ出てゆこうとするもの――自己の発展を求めるものとしてあるべきだと思います。悪循環の下に居直ったように、俺が悪いんじゃない、あの時はあれでしようがなかったのだ、というような人生態度は芸術的に人間的に低俗で、長いものにはまかれろ式なものであり、近代文学の本質的な意欲のないものと思います。
一方にはまた、戦争中べつにいきり立ちもしなかったけれども、社会生活と個人の身の上におこる起伏を歴史的現実としてはっきり把握せず、ただ自然主義風に、世の移り変りとして見ている態度の作家と作品があります。宇野浩二の「浮沈」などを代表として。
さらに昨今の特徴として目立つ傾向はデカダニズム、またはエロティシズムです。織田作之助、舟橋聖一、北原武夫、坂口安吾その他の人々の作品があります。
個々の作家についてみればそれぞれ異った作風、デカダンスの解釈とエロティシズムへの態度があるけれども、総体としてみて、今日、新しい人間性の確立がいわれている中で、デカダンス、エロティシズムの文学が流行していることについては注目の必要があると思います。
日本文学におけるデカダニズム、エロティシズムは、悲劇的な系譜をもっているといえないでしょうか。ヨーロッパの近代文学におけるデカダンス、エロティシズムは、つねに、小市民的町人的モラルにたいする反抗として現われました。日本の近代文学におけるデカダンスやエロティシズムは、封建的な形式的道義・習俗にたいする人間性の叛乱としてあらわれたものでした。古い例でいえば、徳川末期の武家権力の崩壊期に、経済的実力をもってきた町人階級が、士農工商の封建身分制にたいする反抗として遊里という治外法権地域をつくり、馬琴の文学にたいして、京伝らの文学をもった場合にもこのことが見られました。町人文学と劇、浮世絵は、封建の身分制から政治的に解放され得なかった人間性が、金の前には身分なしの人身売買の世界で悲しくも主張されたわけでした。婦女奴隷の上に悲しくも粉飾された町人の自由と人間性との表示でした。
明治四十年代の荷風のデカダニズムはさきに
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