なしで彼らの資本主義生産が一日でもやって行けるか? 彼等が半封建的な資本主義的・地主的権力である限り、プロレタリアはプロレタリアであることをやめない。闘争をやめぬ。資本主義の矛盾はここにも現れて、数人の前衛をうばったことは、逆にこれの何倍かの活動家たちを生み出す結果となっているのだ。
 洋々とした確信が胸にみち、自分は思わず立ったまま伸びをし、空に向いて笑った。声を出さず、ひろく唇をほころばして順々に笑った。
 午後二時ごろになると、特高係が留置場へやって来てわたしを出し、二階の一室へつれ込んだ。墨汁だの帳簿だのの、のっかっていたテーブルの向う側に、黒い背広を着、顔の道具だてがみんな真中に向ってすり詰ったような表情の警視庁の特高が腰かけている。
 帝大の学生の東というのを知っているだろう。その学生は青年同盟の出版物へわたしの原稿を貰っているのだといった。
「そんな学生は知らない。またそんな原稿もきいたこともない」
「そんなことはないでしょう。現にあなたの家へ行ってつかまっているんですよ」
 目を凝《じっ》と据え、癖のある嘲弄的な口元で、しつこく繰返した。押し問答の後、その特高は書類鞄の口をあけ、数枚の写真をとり出した。手札形の大さで、髪にコテをあてた派手な若い女の写真などがある中から一枚ぬき出して、
「これを知っているでしょう」
と、こっち向きにして見せた。大島らしい対の和服で、庭木の前に腕組みをして立っている三十前後の男の七分身である。色白で、おとなしい髭《ひげ》が鼻の下にある。――
「――誰です?」
「知ってるでしょう」ニヤニヤしている。
「知らない」
「そんな筈はない」
「だって、知らないものは仕方がありませんよ」
「――知らないかナ。蔵原ですよ」
 わたしは我知らず顔を近づけ、さらに手にとりあげてその写真を見た。洋服姿の古い写真をいつか見た覚えはあるが、こんなのは初めてであり、本物かどうかさえよく分らない。写真の裏をかえして見たら、白いところに蔵原惟人、当年三十二歳と書いてある。
「つかまったんですか?」
「あんなに新聞にデカデカ書き立てたじゃないですか」
「新聞なんか見せないから分らない。――見せて下さいな、それを」
「見せてもいいですが」
 そういうぎりである。特高は椅子から立とうともせず、モスクワで会っているだろうなどといった。それにしても、一体この蔵
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