後段でとりあげたいと思うが、荷風が往年特徴としたデカダンスの張りあいない腰をおとした作家的態度を見すごすこと(実質的にはそういうものへの妥協)は、何か後輩の大人らしさという風にポーズされ、この「ひかげの花」は「春琴抄」とならんで、一般文学愛好家の間にまでいわゆる文章道の職人的手腕に対する関心をかき起した。
 今日の社会的段階にあって、リアリズムはそれが客観的現実を反映するリアリズムであるならば社会主義的リアリズム以外に内容され得ない。その必然を理解しないでふるい世界観のうちに閉されている作家たちが、若々しい年齢にもかかわらず、荷風のあるうまさ[#「うまさ」に傍点]だけを切りはなして問題にしたことは十分うなずけるが、この職人的な腕を作品の持つ社会的歴史的価値から切りはなして、評価する誤りにはプロレタリア文学を創ろうとしている一部の作家たちもまきこまれた。
 やはり、リアリズムの不確実な理解に煩わされて、現実にきりこむ作者の態度と血の通ったつながりにおいて文章のうまさ[#「うまさ」に傍点]を見ようとせず、ただ作家には技術が必要であるという、文学における階級性以前の立場から「春琴抄」のうまさ
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