されていなければ、最も長い時間裁縫工場で働かなければならない婦人が、着るに着られず生活しなければならない矛盾は解決されない。
いい身なりということについても、随分わたしたちの感覚はしっかりして来たと思う。美しい身なりというものを生活的に感じとるようになって来ていると思う。私たちは誰でも、雨の降る日にレイン・コートもないのに絹の着物なんか着て歩きたくないと思っている。雨になって直ぐ縮むような縮緬《ちりめん》の服をつくるより、麻のワンピース、木綿の着物、雨が降っても大丈夫な長靴が欲しいし、そういう生活の役に立つ服装がすべての人に余り差別なく出来るようでありたいと思う。私たちが衣服についてもつ希望や要求はこんなに遠大な本質をもつものであることを、私たちは知っていただろうか。
政治というと、私たちの生活に遠いことのようだけれども、こうして、衣服一つとして追求してもやはり結局は社会的な意味をもっている。人民全体が、どう食べ、どう住み、どう着ているのか、そしてどんな教育をされているかということは、ひとの政治問題ではない。じつにわたしたちの運命の課題なのである。
服装について、センス(感覚)と
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