仕事の一つとして彼女は織りものをしたということが語られている。天照という女酋長が、出来上ることをたのしみにして織っていた機の上に弟でありまた良人であって乱暴もののスサノオが馬の生皮をぶっつけて、それを台なしにしてしまったのを怒って、天の岩戸――洞窟にかくれた話がつたえられている。天照大神の岩戸がくれは日蝕の物語だともいわれる。けれども、私たちに興味があるのはあのままの物語――太古の女酋長の日常の姿ではないだろうか。
 ずっと後世になりヨーロッパの中世にあたる日本の藤原時代、女の人はどんなふうに縫ったり織ったりしていたのだろう。源氏物語の中には貴族の婦人たちが、自分で縫物をやっている描写はないと思う。優婉な紫の上が光君と一緒に、周囲の女性たちにおくる反物を選んでいるところはあるけれど、落窪物語はやはり王朝時代に書かれた物語ではあるけれども、ここに描かれている人たちは源氏物語のように時代にときめく藤原の大貴族たちではない。貴族でも貧乏貴族のような立場の人の生活だと思う。落窪の姫は、昔から日本にある悲劇女主人公、継娘であった。自分の娘を引立てて、まま娘である姫は、建物の中で日もよく当らないような粗末な部屋だか廊下だかわからないような一段おちくぼんだ部屋に住まわせた。物語の終りは、そのようにいじめられた落窪の姫に思いもかけない立派な愛人が出来て、堂々とした生活をするようになる、一種の「シンデレラ物語」であるけれども、ここでまた私たちの目をひくのはこの落窪の姫が非常に縫物が上手で家中の者の縫物をやらせられるという点である。大貴族の婦人達は勿論自分で縫物などはしなかったけれども、貧乏貴族ぐらしの藤原の末流の人達になれば姫といっても自分で縫物をしたし、家中の縫物もさせられるような哀れな状態であった。王朝時代の文化と文学との中に美しい綾や錦を縫いつづけて、その細い指先が血を流した落窪の物語があることは注目に価する。
 藤原時代の経済は荘園制の上に立っていた。京都にいる貴族の所有地である荘園とそこの住民は荘園の主にまかされて、すべての生活必需品を現物で京都の貴族たちに収めなければならなかった。あらゆる貴重な織物もこうして荘園の女の努力からつくられた。藤原時代というと十二単衣ばかりを思いおこすけれども当時一般の女ははだしか又は藁草履でさらさない麻を着るような生活をしていた。綿というもの
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