、節度をもっているのが自然であると同様に。
友情のそういう健全な敏感さは、日常の接触のおりおり、みだす力としてより整える力として発露して、異性の間の友情をも調整して行くものである。くだらない偶然で紛糾をひきおこすことは避けるだけの実際性にも富んでいることが生活態度としてある貴いものを与えることにもなるのであると思う。
友情という二つの文字は簡単だが、そこにこめられてある内容は何と複雑だろう。まして、異性の間に友情が友情本来の社会感情の内容で見出されはじめてから、歴史はまだずいぶん新しい。日本ではことにそうである。友情という感情内容が何となし薄味であるかのように感じられる程、それは異性の間に社会感情の間では若々しい芽である。社会的には全く複雑な要因に立つ異性の間の友情が、いたるところで一見まことに単純自然な花々を開かせているという気持よい人間的美観は、私たちの気短かい期待でいきなり明日に求めても無理で、個人と社会とのそこに到ろうとする着実な一歩一歩のうちに実現されて行く可能なのである。[#地付き]〔一九三九年十月〕
底本:「宮本百合子全集 第十四巻」新日本出版社
1979
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