か。
眠りなおして八時過に起ても、私は何となく頭が重苦しいのを感じた。熟睡して醒めた後誰でも感じる、暖かに神経の末端まで充実した心持。それがなく、何だか詰らない、疲労の後味とでも云うようなものが、こびりついて居るのである。
新奇なこともない新聞を読み乍ら食事を終った処へ或書店から人が見えた。
髪をちょっと丸めたままの姿で、客間に行って見ると髪を長くのばし、張った肩に銘仙の羽織を着た青年が後を見せて立って居る。
初対面の挨拶をし、自分は
「どうぞおかけ下さいまし」
と上座に当る椅子を進めた。
はあ、と云って立って居るのでもう一度同じ言葉を繰返すと、その青年は、ひどく心得た調子で
「まあどうぞ其方へおかけ下さい」
と、まるで自分が主人ででもあるような口調で私に、彼にすすめる椅子を進めた。
「荷物がありますから」
ちらりと小さい風呂敷包みを見、自分は何だか滑稽な、苦笑したい心持で席についた。
用向と云うのは、その書店で編輯して居る雑誌のことにつき、或話をききたいと云うのであった。用談がすむと、二三の人の噂をし、淡青い色の巻煙草の箱を出した。
家族に喫煙する者がないので、道具の出してないのに心付き、私は火鉢を彼の近くに押してやった。
彼は
「いや、どうも」
と云い乍ら、こごんで巻煙草に火をつけ、一ふきふかすと、直ぐ
「其じゃあ失礼致しましょうか」
と云い出した。
煙草を出すところから、火をつけ終るまで、悠くりした心持で見て居た自分は、突然そう云われた刹那、火をつけたばかりの煙草をどうするのだろう、と云う疑問を感じた。迂遠な私は、落付いて一休みして行く積りなのだと思って居たのであった。
面喰い、猶も同じ疑問に拘泥して居る間に、彼は、薄平たい風呂敷包みを持って立ち上った。そして、片手の指には、火のつき煙の立つ煙草を挟んだまま、両足を開いて立ち、
「失礼しました。左様なら」
と云う。私も立って
「左様なら」
と云った。もう少しで、
「一服つけて御出かけと云う処ですか」
と云うところであった。
出て行った音をきき乍ら書斎に入り、私は何と云う無作法な男かと思った。文学を遣ると云ったのを思い出し空恐ろしい気もする。
夜中に見た夢が悪かったのか、男が余りがさつであった為か、私の気分は愈々悪化した。
底本:「宮本百合子全集 第十八巻」新日本出版社
1981(昭和56)年5月30日初版発行
1986(昭和61)年3月20日第2版第1刷発行
初出:同上
入力:柴田卓治
校正:磐余彦
2004年2月15日作成
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