がわるいんですもの」
彼等は再び沈黙した。
置時計の小刻みなチクタクが夜の静寂を量った。
翌朝、さほ子は重大事件があると云う顔つきで、朝飯を仕舞うと早速独りで外出した。
彼女は街のポウストにれんを呼び戻すはがきを投函し、一つ紙包を下げて帰って来た。
良人は妙に遠慮勝ちな、然し期待に充ちた表情で、時々さほ子の方を見た。彼女は黙り返って落付かず、苦々しげな気の重い風で、どうでも好い事にいつ迄もぐずぐずかかっている。
千代と視線を合わさず昼飯をすますと、さほ子は終に決心した様子で、
「千代や」
と娘を呼んだ。
「はい」
卓子に肱をつき、ぼんやりしていた彼は、悠々《ゆるゆる》立って居間に入って仕舞った。
さほ子は良人には行かれ、一方からは千代のあでやかな白い顔が現れるのを見ると、愈々《いよいよ》進退|谷《きわ》まった顔になった。彼女は、真正面に目を据え、上気《のぼ》せ上った早口で、昨夜良人と相談して置いた転地の話を前提もなしに切り出した。
彼女のむきな調子には何か涙が滲む程切迫つまったところがあった。余程急に出立でもしなければならないのか、又はその転地が夫婦にとって余程の大事件であるか、何方《どちら》にしろ只ごとではないと思わせた動顛と苦しさとが彼女の全身に漲っていたのである。
千代は、凋れた表情になり、両手を痛々しくひきしぼりながら、
「まあ。――折角お優しいお家に上れたかと思って居りましたのに。――でも……そう云う御都合なら致し方もございませんけれど。私……」
と歎息した。
さほ子は、承知された嬉しさと、二三日でも一緒に暮した者を家から出す苦痛とで、何とも云えない顔をした。
彼女は、あやまるように、ほろりとする千代を励した。そして、最後に今朝買って来た紙包をとり出した彼女は、せかせか言葉を間違えたり、つかえたりしながら云った。
「あのね、これはちっともよくないんだけれど、平常着になるような羽織地だからね。――どこへ行ったって其じゃあ働けないから。……縫って著て。――本当に此那ことになって私気の毒で仕様がないのよ。――それからこっちはね」
彼女は、少しばつの悪い様子をして、たたんである橄欖《オリーブ》色の布を出した。
「裏になるだろうからいやでなかったらあげるわ。元カーテンに使ってあったから片側は、はげているところもあるんだけれど」
千代は、同
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